大川祐司主席研究員を偲んで: 「いつも隣に居た人」
30歳頃の大川さんと私が理化学研究所の青野正和研究室に加わったのは20年以上前のことです。当時、研究室は30歳前後の十数人の研究員からなっており(写真1)、青野リーダーのもとで各人が独立して独創的な研究テーマに取り組んでいました。大川さんの研究テーマは、走査トンネル顕微鏡を用いて表面化学反応を制御する研究でした。当初は装置がなかったので、私が使っていた超高真空走査トンネル顕微鏡を共同利用して実験を始めることになりました。その装置に取り付ける蒸着装置や真空部品を注文して、それらが届くまで時間ができたので、大川さんは同じ部屋の隅にあった不使用の大気中走査トンネル顕微鏡をとりあえず使い始めました。驚くことに、数日後には、後に科学雑誌ネイチャーに発表した大仕事を成し遂げていたのです。これまでに私が感じてきた「なぜか、お金をかけた研究の成果はあがらないが、お金をかけない研究は大きな成果をあげる」を示す例となりました。この画期的な研究で大川さんは、表面に並べた分子に顕微鏡の探針を用いて刺激を与え、分子がドミノ倒しのように次々と反応してつながる連鎖重合反応を実証しました(図1)。 この手法を用いると、幅数ナノメートルで導電性のある単分子配線を任意の位置に作ることができます。この成果は、表面化学反応を局所的に制御する基礎研究や分子配線を利用した応用研究に多大な貢献をもたらしました。さらに、研究成果を広くアピールするために、研究経過を説明する動画をいとも簡単に作り上げ、研究能力に加えて高い芸術センスも見せてくれました。
当時の研究室ではみんなで食堂に出かけ、その後に居室の大きなテーブルの周りに座ってコーヒーを飲みながら1時間ぐらい様々な話をするのがスタイルになっていました。大川さんは、皆が大きな声でしゃべる中で、いつも楽しそうに聞いていました。また、世界的に著名な研究者がセミナーに来られた後には、居酒屋で楽しく語らい、二次会はカラオケに出かけるのが研究室の定番でした。「カラオケで自己アピールできない人は研究もうまくいかない」という青野さんの教えもあって、はにかみながら大声で歌っていた大川さんの姿が思い出されます。
NIMSに研究室が移動した後、WPIの大きな国家プロジェクトが始まると、青野グループ、そして寺部グループのメンバーになりました(写真2)。青野さんから「これから研究をどんどんやりたいのでよろしく」と言われ、「青野さんの研究への強い情熱を二人だけで受け止めるのは大変だ」と語りあっていたことが思い出されます。大川さんはポスドク研究員の助けを借りて連鎖重合反応のメカニズムをさらに探求すると共に、単分子配線の電気抵抗を測定する方法の開発、単分子デバイスの作成や動作実証を目指した研究を続けました。1つの研究テーマを継続して深く掘り下げるのが大川さんのスタイルでした。温厚で口数が少ないですが、科学の話になると細かい点まで議論し指摘してくれる教育者の面も見せてくれました。最近では、大川さんと一緒に同じ研究テーマをやろうということになり、「分子ナノシステム」の構想の下、大川さんが代表となり、ヨアヒム教授と私が参加して共同研究する体制を作りました(写3)。しかし、そのプロジェクトの道半ばにして大川さんが旅立ってゆくことに、悔しさと寂しさを禁じ得ません。心からご冥福をお祈りいたします。
(文 櫻井 亮)