アウトリーチFEATURE TOPIC

計算科学×材料科学
「イメージ」と「リアル」 をつなぐ化学者の力  

北海道大学 化学反応創成研究拠点(WPI-ICReDD)   前田 理 拠点長
小野 ゆり子 特任助教
国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA) 中西 尚志 GL
中田 彩子 主任研究員


コロナ禍によって誰もが「バーチャルとリアルの融合空間」で暮らすことが求められる昨今、「化学」にはどんな未来像が待っているのでしょうか。元々、「化学」は研究者が思い描いたイメージ(バーチャル)を実験によってリアルに導いていく学問でした。今では計算科学と実験科学との融合によって、より明確にイメージを描くことが可能になってきています。この座談会では、計算化学者と実験化学者両者の視点から「イメージとリアルの間にはどんな営為があるのか」、「計算と実験の間にはどんな融合空間があるのか」を語ります。


ライター:清水 修(Academic Groove)


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イメージから始まる、化学を通じた材料開発


前田 理 (まえだ・さとし)
北海道大学
化学反応創成研究拠点(WPI-ICReDD) 拠点長


ー 材料開発において、研究者は思い描いた「イメージ」から実験や計算を繰り返して「リアル」に新しい材料を生み出していくのだと思います。まず、研究現場においてこれがどのようにして行われていくのかを、それぞれのお立場からご紹介いただけますか?

中西:今日は、お三方が計算化学者で私だけが実験化学者。ですから、「実験によってものをつくる材料科学(化学)者」としてどのようにリアルを作り出していくか、私の考えをお話しします。そこには二つのアプローチがあります。ひとつは社会の要請に応える問題解決型のスタイル。今、必要な機能の材料を作り出していくこと。もうひとつは科学的な興味から材料を調べ開発する新物質探求型のスタイル。たとえば、グラフェンのような新しい物質が登場してきたら、その素性を知りたいという好奇心から始まる研究ですね。MANAは「ナノアーキテクトニクス(ナノ建築学)」という考え方を提唱していますが、分子、原子、その他のナノ物質を組み合わせて問題を解決する機能を産み出すのは、まさにナノ建築学そのものですね。時には計算科学のサポートで予想を立てたイメージをリアルに実現していきます。

前田:私は、「理論化学の計算手法をつくる」ということを主として研究を進めています。今の中西先生のお話で言うならば、現在は問題解決型の研究が多いです。しかし、昔はとても基礎的な研究をやっていました。「化学反応の経路探索」をテーマに、見落としが絶対にない緻密な理論をつくることに注力していたのです。そういう理論をある程度、達成して、次に実験に展開するフェーズに入りました。実験で取り扱う対象に即したモデルを組み立てて計算するのですが、その際、近似をいくつか入れます。こういう近似を入れても大丈夫かな、ああいう近似を入れても大丈夫かな、という試行錯誤を繰り返しながら、イメージがリアルの再現となるようにするわけですね。

中田:私も計算科学が専門です。計算科学は「第三の科学」と言われることがあるのですが、第一の科学は実験科学です。これはまさにリアル。第二の科学は理論科学。運動方程式のような。これはイメージですね。そして、第三の科学と言われる計算科学は計算による「シミュレーション」です。これもイメージなのですね。現実で起こっていることが非常に複雑で紙に鉛筆で数式を書いていっても解ききれない場合は、スーパーコンピュータなどを使ってシミュレーションをします。解明しようとしても厳密に解明しきれない時には前田先生がおっしゃったように、近似をたくさん入れます。分子の組み合わせとか、化学反応が起こる環境とか、考慮しなければならない要素、パラメータがとてもたくさんあるので、それらの要素をどうやって近似して、量子力学計算に取り入れていくかがイメージ作りの鍵になります。

小野:私は最初から計算科学を目指して大学院に入ったわけではなくて、所属研究室は実験主体でした。ある時、指導教員(東京工業大学 藤井靖彦名誉教授)から「実験には時間がかかるので、あらかじめ計算からある程度実験結果を予測できないだろうか」と提案していただき計算を始めました。過去の実験データをベースに計算を行いましたが、実験値と計算値は簡単には一致しませんでした。問題を試行錯誤しながら追求しているうちに、本題にもその周辺にもいろいろなことが見えてきました。「仮説(イメージ)がどのように現実(リアル)になるか」に関してですが、近似を上手に入れて、どのように広大な反応空間の解析を進めるべきか、というところはまさに計算化学者の腕の見せ所とも言えます。計算科学はリアルを解析して、イメージの精度を上げる研究と言っても良いかも知れません。


計算との遭遇。分子化学の最新事情

小野 ゆり子 (おの・ゆりこ)
北海道大学
化学反応創成研究拠点(WPI-ICReDD) 特任助教


ー かつて、化学といえば白衣を着た化学者が実験を繰り返して新しい物質をつくり出していくというイメージがありましたが、現在の分子化学では計算科学やデータ科学からのサポートが欠かせないとうかがっています。

中西:化学系材料開発の現場においても計算科学の比重はどんどん増しています。現象や機能を見ただけで100%説明できることは少なくて、実験結果と計算結果を総合的に捉えて、理解に至るケースが多いです。また、分子をつくる作業は相当な時間と労力がかかるのですが、つくる前に計算をして「このような機能の物質をつくるならば、こんな骨格の分子が必要。その分子にはこんな相互作用が欲しい。」ということを明確にして、分子をつくります。さらに、論文執筆の際には、シミュレーションを加えたイメージ図をつくって、我々が想定しているイメージはこのようなものだと示すこともよくあります。

中田:理論計算の目的の一つは「分かる(メカニズムを理解する)」ということ。ですから、「実験で起きていることはどういうことなのか」を計算からサポートするのは私の大きな役目です。メカニズムが分かれば、新しい分子や物質の設計がぐっとしやすくなります。理論化学の側から計算によって物質をデザインして「こういうものを作ってはどうでしょう?」と提案できれば、とてもうれしいですね。そのような計算では、近似をどのように入れていくかなどのテクニックが私たち計算化学者の腕の見せどころ。いろいろな工夫を凝らすのはとても楽しいです。

前田:10年くらい前は「量子化学計算によって化学反応を予測できる」と言われてもそれを信じる研究者は少なかったと思います。しかし、最近は計算手法の改善やコンピュータの大規模化もあり、研究現場において計算の需要は高まってきています。ただし、計算のみでゼロから予測すると、間違った答え、つまり現実にそぐわない答えが出てくることもあるので、実験的な実証が不可欠です。計算によって新しい化学変換を見出して、それを実験化学者と協力して実証していくことに、現在は取り組んでいます。それから、誤解を避けるために言いますと、我々がやっている計算科学はデータ科学とは違います。過去の実験データの膨大な集積から新しい組み合わせを見出していくのがデータ科学だと思いますが、量子化学計算では、事前情報一切なしでゼロから第一原理的に化学反応を予測します。データ科学の流行によって、社会ではデータ科学と計算科学が混同されやすい状況になっていますね。

中西:そうですね。過去のデータを元にしているのでデータ科学は新しいことが苦手ですよね。内挿的な予測は得意だけれど、外挿的な予測は苦手だと言われています。

中田:そのお話におけるデータは実験データを指すと思いますが、最近では、計算結果をデータとして扱い、それを使ってデータ科学や機械学習をやろうという取り組みもあります。計算でデータをつくることの良い点は、条件さえ決めておけば常に均一の精度が保証でき、質の高いデータを揃えられるのです。計算からだと、まだ現実的につくられていない物質に関するデータを出すこともできますね。


セレンディピティとチームワーク

中西 尚志 (なかにし・たかし)
物質・材料研究機構
国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA)
グループリーダー


ー 研究者は何らかのひらめきやセレンディピティによって新しい着想を得て独自の研究を進めていくことも多いと思います。実験化学者と計算化学者では、セレンディピティの起こり方は違うのでしょうか。

前田:まさに、ICReDDでは「ひらめきみたいなものを計算から出せないか」ということをひとつのミッションにしています。2年間くらい、この拠点でやってきて思うことは「(精度が良い)計算は実験よりも遅い」ということですね。つまり、人間が思いついたアイデアを、計算で検証するよりも実験をしてしまうほうが早いということがよくあります。それから、反応条件や触媒などの最適化に実験化学者と計算化学者が協働して取り組む場合には、計算結果からアイデアを抽出する際にも、実験化学者の経験による知恵がとても重要になります。ですから、人間が一生かけて知恵を絞っても出てこない、アイデア(ひらめき)そのものを導きだすところに、計算を使えるようにしたいと思っています。

中西:ひらめきやセレンディピティに関しては、私の場合、「実験をやりながら気づく」ということが多いですね。実験結果に理解できない現象が現れて、一生懸命にそれを理解しようとする過程でひらめくことが多い。しかも理解し終わった後で「ああ、あれがセレンディピティだったのだ」と気づいたりします。昔と比べると、現在は計算化学者と実験化学者の距離がかなり近づいてきていると感じます。だから、その協働の場において、ひらめきが起こることもあると思います。

ー ひらめきの現れ方ひとつとっても計算化学者と実験化学者は違いがありますね。おそらくカルチャーや思考様式においても両者にはかなりの違いがあるのだと思います。その両者が協働する研究現場ではどのように研究が進んでいくのでしょうか。

小野:計算化学者と実験化学者の共同の現場では様々なプロセスが最短距離で進んでいくことを実感しています。ICReDDでは、まず、実験の先生がチャレンジングな目標を掲げてくれます。この目標に向かって、計算初動で予測を立て、議論を重ねて良い系があれば実験して実現するプロセスに進みます。初動の計算結果の吟味においては計算の知識だけではなかなか選別が難しいので、実験化学者の意見を聞きながら、選別していきます。計算化学者と実験化学者の知識を総動員して、目標まで最短距離で走ろうとしています。一般的に、実験化学者は「計算にとても期待するタイプ」と「計算よりも実験結果を重視するタイプ」がいると思うのですが、私の指導教員は前者のタイプでした。私もその影響を受け、実験から計算に進んできました。しかし、必ずしも計算が万能というわけではありません。融合研究の場においては、「実験だけでは見えない情報を計算から示す」ことが重要だと考えています。

中田:昔は「理論(計算)は理論(計算)。実験は実験」というふうに別々に研究をしていましたが、今では両者がどんどん融合されていく状況です。計算で出てくる結果は理想的なものというか、イメージみたいなもので、実験化学者と話すことで初めて現実がついていくというかんじ。小野先生がおっしゃるように、実験化学者が与えてくれる現実的な情報がとても大切ですね。

中西:我々のような研究の現場で今後必要になってくる人材は「計算科学のこと、データ科学のこと、実験のことを、ある程度理解していて、それぞれの専門家の間に入って繋いでいくコーディネーター的な人」なのではないかな。そういう人がいると、プロジェクトが円滑に進んでいくと思いますね。


化学の未来は実験ロボットにあるのか

中田 彩子 (なかた・あやこ)
物質・材料研究機構
国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA)
主任研究員


ー 国はSociety 5.0を提唱して「バーチャルとリアルが理想的に融合した未来社会」をビジョンとして示しています。そんな時代において、化学はどのように変わっていくと思われますか。

小野:あまり先のことは分からないのですが、あらかじめ、計算で精度良く予測して「これが良い」と実験化学者に提案し、それが実現するという形で全体の開発速度が上がっていく未来はイメージできます。そのためには実験と計算の密接な連携が必要だと思います。

中田:データ科学ではたくさんの選択肢が提案されます。しかし、「なぜそれが良いのか」という理由は、今のデータ科学では深くは分からないことも多いです。計算科学は「分かる」ということが強みなので、データ科学により提案されたたくさんの選択肢の中から「これが良い」と理論づけて絞ることができます。つまり、データ科学によるバーチャルな選択肢の絞り込みが計算科学によって実現されていくのではないでしょうか。

中西:現在の「データ科学と実験を融合した材料開発」の流れは、実験データを貯めて、予測して、また実験に戻るというサイクルです。ただ、これだとどうしても実験のところでスピードが落ちます。実験化学者の私としては、「つくる能力を究めておく」ということが大切だと思っています。将来、どんなに計算科学やデータ科学が発達しても「分子や材料をつくるスキル」がなければ実現できないだろうということですね。

前田:今、中西先生がおっしゃった問題の解決案として「ロボット」の存在があるのではないかと思っています。計算で予測したものをロボットによる実験で実現する。そんな未来です。実は、ICReDDは実験ロボット導入を決めました。実験はスキルフルな部分がたくさんあるので、その複雑な行為をどこまでロボットで実現できるかという問題はあるのですが。未来に向けた試みとして、その可能性を追求していきたいと考えています。

ー ここで少し、素朴な疑問を……。数学におけるABC予想やリーマン予想のような「ずっと解けない難問」って化学の分野にもあるのでしょうか。

中田:反応パターンが膨大にある時にそれをすべて解明するのはどうすれば良いか。これなどは「ずっと解けない難問」の一つなのではないでしょうか。

小野:前田先生が開発された計算手法がまさにそれなのではないかと思いますが。

前田:いや、それはまだ人がやっていなかった時代に、少し先にやったというくらいの話だと思います(笑)。考えてみると、化学の未解決問題の多くは、「程度問題」なんですね。物理や数学などでは「まったくできていなかったことができた」という話が多いですが、化学の場合は「できてはいるが、実用上使い物にならない。もっと効率的に、あるいは、工業的に実装できるようにしたい」というのが化学における未解決問題に相当するのではないでしょうか。

ー「解きたい難問」は「工業的実装の問題」というわけですね。そうすると、実験ロボットの導入も自然な選択肢に思えてきます。


今後の展望。イメージが導くリアルへ

ー そろそろ時間も残り少なくなってきました。最後に、みなさんそれぞれの今後の展望を話していただけますか。

中西:世の中で役に立つ製品のパーツとなる素材や材料を一つは作りたいですね。それから、教科書に載るような物質や機能の発見など、社会に貢献できるものを何かしら後世に残したいと思っています。

中田:今まで使われてきた材料が、ちょっとした変化で大きく変わる(性能が大きく向上したり、新しい機能が生まれる)というような現象は面白いと思っています。そういったものを、理論から提案して現実につなげていけたらいいなと思います。

前田:組織(ICReDD)としての展望を言おうとすると、ちょっと気負いますが(笑)。計算と情報が先導していく化学、理解と予測が先導する化学をつくりたいですね。そのために、さまざまな複雑さの階層において、計算と情報が貢献できる戦略を立案していきたい。

小野:専門の異なる人、たとえば有機化学の研究者と話すと、すぐには理解し合えなかったりします。意思疎通がなかなか難しい。計算化学者と実験化学者の距離が近づいたとはいえ、やはりまだまだ距離はあります。その垣根を少しでも低くする努力を続けていきたいですね。

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座談会は、ウイルス感染症対策のため、オンライン会議システムを使って安全に行われました






北海道大学
化学反応創成研究拠点(WPI-ICReDD)


化学反応創成研究拠点(ICReDD /アイクレッド)では、計算科学、情報科学、実験科学の3分野を融合させることにより、新しい化学反応をより深く理解し効率的に開発することを目指しています。
ICReDDは、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)の新たな研究拠点として、2018年10月に北海道大学に設立されました。

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