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人工脳が「眠い」というとき
  
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS) 機構長 柳沢 正史
国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA) 副拠点長 中山 知信

WPI-MANAでナノシステムの研究をする中山知信。原子スイッチを用いた人工脳の可能性を探るうち、生物の脳に特徴的な「睡眠」に着目した。そして、睡眠研究の世界最先端研究機関 筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS) 柳沢正史機構長とカスパー・フォークト准教授を訪ねる。はたして睡眠とWPI-MANAが目指す人工脳に共通点は見いだせるのか。話を進めるうち、両者に意外な共通点が浮かび上がってきた。


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眠くなるとはどういうことか


柳沢正史 (やなぎさわ・まさし)
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS) 機構長

柳沢: 睡眠については、実は何もわかっていないというのが本当のところです。特に大きな謎、ビッグクエスチョンがふたつあります。一つは「なぜ眠らないといけないのか」。脳の活動をみると、睡眠中も 神経活動は止まらないどころか、代謝率や血流などを測定しても、一番エネルギーのかかる大脳皮質の活動はほとんど下がらない。

中山: エネルギー消費は下がらないのに、脳は眠らなくてはいけないのですね。

柳沢: ずっと断眠し続けると、動物は死にます。生命維持のためにも睡眠は必須です。ただ、それがなぜなのか、きちんと説明できない。そもそも睡眠中に脳で何が起こっているのか、説明できないですね。言い換えれば、睡眠の機能です。「なぜ眠らないといけないのか」が一つ大きな問題。

中山: 今、睡眠の役割については、何がわかっているのでしょうか。

柳沢: 断片的にわかっていることはたくさんあります。例えば記憶のコンソリデーション(固定化)が、特に深いノンレム睡眠(徐波睡眠)中に起こるということがわかってきました。知識などの言葉にできる記憶だけでなく、車の運転やスポーツ、楽器演奏などのいわゆる「スキル」も一晩寝ると向上します。脳の記憶素子にあたるものは、シナプスであるといわれています。シナプスのつながりの強弱が記憶の実体なのだろうと考えられていますが、具体的に睡眠がそこにどう関連しているか、イマイチよくわかっていないのです。

中山: 眠っている間に記憶を定着させるために、シナプスの結合を強くする、、、そんな作業をやっていたらエネルギー消費が下がらないのもうなずけますね。

柳沢: もうひとつのビッグクエスチョンは、睡眠の制御です。ヒトの成人であれば、平均睡眠量は一晩におよそ7時間±1時間と言われていて、一晩徹夜すれば次の日は眠くなり、長く深く眠るわけですね。つまり、起きてれば起きているほど睡眠要求はだんだんたまっていくわけで、眠るとそれが解消される。しかし、その睡眠要求なるものは一体なんなのか、わかっていないのです。

中山: 眠くなるのはどうしてか、眠る必要性をどう計っているのか、という問題ですね。

柳沢: そうです。「眠気」の物理的な実体、生物学的な脳の中におけるメカニズムは何もわかってないのです。我々の脳は近過去の覚醒量を常にカウントしているはずですが、その積分器がどこにあるのかわからない。どのように計測され、脳のどこでカウントされているのか、どういうメカニズムなのか、どれもわからない。

中山: お聞きすればするほど、ますますわからなくなっていきます。(笑)

柳沢: そうですね。ほんとうに絶望的にわかってないのです。


原子スイッチと人工脳と睡眠

中山知信 (なかやま・とものぶ)
国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA) 副拠点長

中山:WPI-MANAは、原子スイッチという、原子の動きを制御して 動作する全く新しい素子を開発しました。この原子スイッチはONOFFスイッチ素子として既に実用化されましたが、今我々は原子スイッチで人工脳を作る研究に取り組んでいます。原子スイッチは、オンやオフだけでなく、連続的な中間状態が存在し、さらにそのスイッチング動作やオン・オフ状態が過去の動作に影響されるという面白い性質を示します。この「連続した中間状態」とか「過去の 履歴に依存した動作」が、シナプスの特徴に似ていると考えています。例えば、強く記憶すれば長く覚えていられるし、弱く記憶すればすぐ忘れてしまう、原子スイッチは、そんな動作をする素子です。

柳沢:なるほど、それは脳を理解するための、新しいアプローチかも知れませんね。

中山:人工脳と言いますと、AIをすぐに思い浮かべます。現在のAIというのはコンピュータのソフトウェアとデータベース、つまりソフトAIです。コンピュータはオフできますし、そうすればソフトAIは全て停止します。でも、人間の脳の完全停止は「死」ですね。つまり、少なくとも人間の脳には完全停止はなく、睡眠がある。我々が作ろうとしている人工脳にも似た特徴があれば、ソフトAIとは全く違うものになると思うのです。

柳沢:私のイメージでは、脳における睡眠の機能とは、スイッチ・オフではなくて、外界から切り離されたオフライン状態でのメンテナンスです。ちょうどデフラグやガベージコレクションのような作業を行なっている状態が、例えとしては近いと思います。

中山:なるほど。非常に面白い例えですね。コンピュータのストレージ断片化を解消していくイメージですね。外部からの入力をいったんやめて、内部記憶の強化というか整理を行うということですね。


シナプスの動きは原子スイッチと似ているか

中山:原子スイッチは、シナプスのような可塑性*1が、コンダクタンス の変化として、つまり一つの信号で表されます。一方、脳のシナプスは、複数種類の分子輸送・信号伝達が関与する複雑なものですよね。

柳沢:シナプスの動きを非常に単純化して言うと、こうなります。シナプスには前部(プレシナプス)と後部(ポストシナプス)があります。基本的には活動電位が軸索(AXON)を通ってニューロンの 前端部にやってくると、シナプス小胞から神経伝達物質(ニュートランスミッタ)の放出が起こります。後端部のニューロンにある受容体が神経伝達物質を受け取ることで信号が伝わる。シナプス後 部側の活動電位がある閾値を超えるとポストシナプスの細胞が発火する。ただ、同時に神経伝達物質の放出量やそれを受け取る側にある受容体の量、ニューロンが発火するまでの閾値など、量的にも時間的にも可変で極めて複雑です。しかし、ざっくり言うとアナログで、強い刺激がくるとより強い関連付けが行われる。シナプスの強度があがる。お聞きしている原子スイッチとよく似ているのは、そういうアナログなところですね。

中山:原子スイッチが、「ざっくり」とでもシナプスと似ていると仰っていただけると、大変勇気がでます。

柳沢:でもあえていうと、基本的には一個一個のシナプスってすごく「いい加減」です(笑)。もっというと、平均千くらいのシナプスを持っている一個一個の神経細胞のレベルでも、ある意味いい加減ですね。脳の中で行われるほとんどの巨視的な活動、つまり思考なり演算なりは、多くのニューロンのアンサンブルが生み出すもので、それによってある程度の確度を保って行われる。いわゆる生物は「間違える」わけですけど、生きていける程度の確度はあるんです。

中山:まさにそこは、我々、ナノ材料の研究者にとって非常に興味深いポイントですね。一般的には、ものをすごく小さくして、ナノの領域にいけば、精密になって動作も速く確実になると思われています。これは、ある意味では正しいです。でも、実は小さいものほど揺らぎが大きいのです。原子スイッチ100万個を全く同じ性能で用意して、精密に動かせと言われたら、泣きたくなりますね。性能のばらつきを隠すために(笑)、オンとオフのように明確に区別できる状態だけを使うしかないでしょう。多少バラバラの特性の素子の集合体でも、アンサンブルとしてそれなりに確度のある動作が出来るとなれば、ナノシステムの新しい可能性が拓けます。

*1 シナプス可塑性:神経細胞間の情報の伝達部であるシナプスの特性は、外からの種々のシグナル(例えば感覚刺激)に適応して刻々と変化する。記憶や学習にも重要な役割を持つと考えられている。


コンピューターはエネルギーを過剰に使っている

柳沢:古典的な、今、実用化されているコンピュータって、ものすごく確度が高いですが、一方でものすごく、無駄なことをしていますね。

中山:確かに、全ての素子を思った通り動かすためには、エネルギーがすごく必要です。

柳沢:正確に作動させるために過剰にエネルギー消費しているのが今のコンピュータ。そこは生物と大きく違う点です。生物学的な脳は、いい加減なものを、上手にアンサンブルを組むことによって、見かけ上、ほぼ大丈夫というシステムなんです。

中山:それはシステムを適度に揺さぶって、より安定で安全な状態を見つけようという生物の戦略でしょうか。

柳沢:恐らくそうですね。その辺りに、睡眠が関与している可能性があると私は思っています。

中山:コンピュータの性能が上がり、ソフトAIがますます膨大なデータベースを使うようになると、さらに過剰にエネルギーを消費しますね。それを回避するには、ちょっと間違えるかも知れないけれど効率よく動いている生物の脳のようなシステムで、そのシステムを運用する上で、睡眠が重要な役割を果たしているということですね。

柳沢:そう思います。


睡眠中のシナプスはダイナミズムを持って動く

カスパー・フォークト (Kaspar Vogt)
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS) 准教授

柳沢:睡眠の機能について、シナプス恒常性理論(Synaptic homeostasis theory)という仮説があります。その仮説では、覚醒して意識がある限り、シナプスは刻々と変わるインプットにリアルタイムで反応し続ける。それを続けていると、脳内の平均的シナプス強度がだんだん上がっていく。しかし、いつまでも上がり続けることはできないので、どこかで破綻する。破綻しないように、上がり続ける何かを計測していて、睡眠という状態に切り替わる。そういう仮説です。

中山:なるほど、確かに考えすぎると疲れてきます。「考えすぎ」という抽象的なものではなく、それに相当する何らかの物理量が変化していると。

柳沢:はい、そして睡眠という状態に切り替わると、リノーマライゼーション(最適化・平準化)が起こると。リノーマライズするときには、バイアスがかからないようにしなきゃいけないから、一回オフライン=意識のない睡眠という状態になる、という説です。非常にもっともらしいのですが、正直、厳密な生物学的証明がまだないのです。

フォークト:大切なことは、リノーマライゼーションは記憶を消さずに行わねばならないということです。記憶を失って初期化しては意味がありません。いずれにしても、記憶を完全に消去できるとは思いませんが。リノーマライゼーションというのは、ネットワークにランダム性を導入するということではないかという考え方があります。もしそうなら、ランダムなニューロンの活動は、当人にとって全く意味が通らないだろうし、通常の活動は行えないと思われます。だからその時、我々は意識を失う必要があるかも知れません。しかし、これはまだ実証されていません。結局は、どの瞬間にどのようなシナプスのリノーマリゼーションが起こるのか、その詳細なメカニズムはわかっていないのです。

中山:面白いですね。確かに「ランダムな状況=意識がない状態」でないと困りますね。ランダムに指示を出す脳に従って活動されては、何をやらかすか分かりません。生きていくために意識をなくすのでしょうか。しかし、それなら意識のある状態と無い状態では、脳の活動ダイナミクスも異なるはずですね。

柳沢:フォークト准教授の最近の仕事の一つが、まさにそれを解明しようということなのです。彼はニューロンの活動電位を統計的に測定しました。そして彼が導き出した結論は、覚醒状態に比べて徐波睡眠中のスパイクのエントロピーの方が高かった、ということです。これはさっきの「睡眠中の方が脳は活動している」という話に矛盾しない結果ですね。

フォークト:面白いことに、脳は複数種類のやり方で動作しています。覚醒時、ニューロンや視覚野に明確なインプットを与えれば、発 火パターンを予測できます。明確なインプットがない場合には、覚醒 時でも予測不能な発火パターンを示します。

中山:では、睡眠中の発火パターンはどうなのでしょう。

フォークト:徐波睡眠に突入した瞬間、劇的に発火パターンが変化します。徐波睡眠中、大脳皮質にあるニューロン群のオン(活動)・オフ(静止)が強く同調しながらも、予測不能な発火のパターンが現れます。このパターンは、覚醒時のそれとよく似ていますが、重要な違いを見せるのです。つまり、個々のニューロンが独立に発火しているのではなく、膨大な数のニューロンが同時に動作していました。私が調べた結果、ニューロンが連動するパターンそのものは、覚醒中より徐波睡眠中の方がランダムであることが分かったのです。

中山:徐波睡眠に入ると活動パターンはランダムになるけれど、それはニューロン群の同調を伴う現象だと。

フォークト:はい、覚醒中の大脳皮質と徐波睡眠中のニューロンの連動パターンが全く異なるのです。

中山:徐波睡眠中は、物理的なニューロン間の結合は維持されているのですか?

フォークト:ニューロン間の結合はきわめて動的です。

中山:つまり同調はするけど、ニューロン間の結合が動的に変化して、全体のダイナミクスをコントロールしている。

フォークト:その通りです。実際に物理的なネットワークがどのタイミングで変更されるのかについてはよくわかっていません。今、分かっていることは、ニューロン同士の個々の結合と、集団的な活動は全く別物だということです。


ダイナミズムから考える

中山:仮に、人間の脳のシナプスがすべて個別に正確に動作するものだったら、なにがおこりますか。もっと頭が良くなりますか(笑)

柳沢:どうでしょう。僕のイメージでは、いわゆるフレキシビリティがなくなるのではないでしょうか。生物のすごいところは、別に教えられなくても、ちょっと環境が変わってもうまく適応できるところですよね。やわらかさというか。

中山:やわらかい頭ですね。正確なシナプスを積み重ねた脳は、決定論的にしか動かない頑固なものになりそうです。

柳沢:そうです。ひとつのことをやることには非常に長けるけども、ちょっとずれるとなにもできないというような。でも実際の生物はそうじゃない。

中山:今のAIが抱えている問題の一つですね。

柳沢:そうですね。要するにきちんと定義された問題を解くことは非常に長けている。だけど、何が問題か、何を解いたら面白いかは 今AIにはできない。

中山:まさにその通りです。柳沢機構長がおっしゃった「一つ一つのシナプスはある意味いい加減と言えばいい加減」という部分がこのフレキシビリティに繋がるのでしょうか。

柳沢:そうですね。

中山:特性にばらつきのあるナノ材料の集合体を作り、適切な制御をすれば確度のある機能性を発現し、フレキシブルな材料やシステムになる。このように考えると、多くの研究者が、新しい方向性を見つけ出すのではないでしょうか。全然違う分野なのに、似たような考え方が出来るのは、非常に面白いですね。

柳沢:一つ一つのコンポーネントもシナプスの受容体一つをとってみても、原子の数で言えば相当な数ですから、スケールは相当違うのですが、コンセプトは似てますよね。

中山:コンポーネントが集合体としてどのように協奏するのか、そこが重要というコンセプトですね。

柳沢:そう思います。

中山:これまでの科学技術は、一個一個のコンポーネントから積み上げてきました。けれど、その考え方をちょっと変えて、ダイナミクスの方から考えてみる。それが、機能する人工脳を設計する考え方なのかもしれません。「眠い」と言い出す、そんな人工脳が出来たとき、睡眠の科学にも、材料の科学にも新たな展開が生まれそうです。

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WPI-IIIS内のアート作品「Dorveille」の前で



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