アウトリーチLEADER'S VOICE

荒川泰彦 教授に聞く  

若者には変化を恐れず自分の進む道を切り拓いてほしい




中心となる研究課題へのアプローチ

 ——荒川先生は量子ドット研究のパイオニアです。その研究に携わられたきっかけは。

 私は大学院では通信理論、特に光通信理論について研究をしましたが、1980年に東京大学の講師になるとき、デバイス分野に転向しました。それは大学側からの要請だったのですが、もともと実験をやってみたかったこと、通信理論に限界が見えたこともその理由です。着任した生産技術研究所では、当時新進気鋭の助教授であっ
た榊裕之先生が量子効果を用いた電子デバイスの研究を主にされていました。また、その頃米国では、江崎玲於奈先生の半導体超格子の流れをくんだ量子井戸レーザーという、薄膜レーザーの研究が始まっていました。着任して研究テーマを半導体レーザーにすることは決断していましたが、どこに絞るかと考えていた私は、その辺りが面白いかなと思い、量子効果を伴うレーザーの研究に取り組み始めました。量子井戸の場合、その中の電子は二次元的に振舞いますが、その自由度を変えていったらどうなるか、その議論が1982年に発表した量子ドットとレーザー応用の提案につながったわけです。

 ——特に海外でご研究が広く知られるようになりましたね。

 1984年から2年間、カリフォルニア工科大学でアムノン・ヤリフ教授の研究室で過ごしました。理論研究を進めながら一方で量子井戸光デバイスについて様々な実験を行いました。実際にデバイスをつくったことは、私の非常に大きな糧となりましたね。1984年にヤリフ教授と最初に共同執筆した論文は世界に大きなインパクトを与えました。
 実は、1982年に発表した量子ドットレーザーの論文は、正直なところ、当時はあまりに先駆的過ぎて、関心を集めていませんでした。「面白いね」とは言ってもらっても、「主流の話題ではないね」という感じです。私自身も、量子箱、当時はそう呼んでいたのですが、20世紀中は実現できそうもないと思っていました。ところがヤリフ教授と書いた論文では、当時の半導体レーザー研究の中心課題である変調特性やスペクトル特性に、私が培ってきた量子効果の考え方を持ち込むことができました。同じ量子効果でもこうした中心課題にきちんと踏み込めたことが大きかったと思います。ましてやヤリフ教授は世界的に著名な方でしたので、より注目が集まったのでしょう。

 ——やはり研究テーマを選ぶ際に中心課題をどうとらえるかが重要なのでしょうか。
 
 中心課題でありながら、新しくなければなりません。私の場合はさらに量子効果がもたらす実用的なインパクトを示せたのが良かったと思います。中心課題は多くの人が研究している。しかし、そこに新たな側面を持ち込めば、突き抜けることができるのです。

 

「量子力学」の実用化へ

 ——現在特に力を入れているご研究はどのようなものですか。またその応用面での展望はいかがでしょうか。

 FIRST(最先端研究開発支援プログラム)で2014年に発表したのが、量子ドットレーザーを搭載したシリコンインターポーザです。5mm角のシリコンの中に光配線集積回路を実現し、その中で光情報伝送を行うものです。量子ドットレーザーは閾値電流の温度依存性が低く、温度が上昇してもレーザーの閾値電流が殆ど変わりません。この特性は、集積回路が発生する熱に影響を受けないという点も非常に画期的です。私たちは125℃でも集積回路の超高速動を確認しました。これは通常の半導体レーザーを搭載した回路では不可能なことです。
 今までは長距離の通信が対象でしたが、このような超短距離でも量子ドットレーザーは実用化されようとしています。近い将来、コンピューティング技術の中に量子ドットレーザーが活用されることはほぼ間違いありません。ストレージ(メモリ)・ロジック・配線、がコンピュータの三大要素です。この三つのうちメモリとロジックは電気のままでしょうが、配線が電気から光に置き換わるのは時間の問題です。この進展は、市場ボリュームの大きなLSI・コンピュータ技術への光通信技術の参入といえます。このパラダイムシフトにおいて、量子ドット
レーザーを活用したシリコンフォトニクスが重要な役割を果たします。
 光通信以外にも、量子ドットレーザーには、超大出力レーザー、超小型・超低消費電力レーザー、光センサーなどの様々な用途が期待されます。特に、ナノレーザーとしていわゆる「IoT」でも今後いろいろな活用ができるのではないかと思います。エネルギーの完全な離散化という、量子力学の本質の一つを、量子ドットレーザーとして、実用的デバイスに結実させることができたことは、工学者冥利に尽きます。

人材のモビリティの重要性

 ——WPIプログラムについてどのように捉えていらっしゃいますか。

 私の印象では、WPIはあまり出口、産業応用を声高に言っていませんね。無理に産業に繋げないことで、拠点ごとの持つ良さをさらに発展させていると思います。そしてそれは拠点がもともと属している組織、MANAならNIMSですが、そこを鍛えた面もあります。それは社会全体にとっては、そうした鍛えられた組織が増えるということですので、日本全体から見て意義深いプログラムといえます。

 ——日本全体にチャンスが広がるというのは、若手研究者育成の観点からも重要ですね。

 社会全体の人のモビリティを高くして、むしろ他の組織に移っていくことがプラスになるという雰囲気をつくることが大切だと思います。ひとつの組織に入ってきた研究者の全員がずっと同じ場所に居続けるというのは、組織や社会全体の活性化という観点からも疑問です。所属先や研究対象を変えることによって人の成長を促すことができるのではないでしょうか。

 ——先生も専門を変えられました。

 なぜ私が大学に就職するにあたり専門を変えることができたかというと、当時の東京大学、特に生産技術研究所では、いきなりパーマネントで雇い、自分の研究室を持たせたことが大きいです。そうでないと怖くて専門を変えることは難しい。2年で論文を書かないといけないというようなプレッシャーが強すぎると小手先の対応になってしまい、思い切ったことができない。そこは、先ほどのモビリティを高めることとの微妙なバランスですね。
 また、一つの研究分野で必要とする研究者の数は、昔も今もそんなに変わらないはずなのに、ポストドク制度の拡充等により参入する若手研究者の数はものすごく増えている。そのリスクを政策側も若手研究者も自覚しなければいけない。一定期間で結果がでなければ、産業方面にアプローチするとか、海外に思い切って出るとか、専門分野を変更するとか、転身を図るようなメンタリティも必要です。米国やドイツなどを見ても、PhDをとった後、研究職だけでなく例えばコンサルタントになったり、企業に就職したり、他のことに取り組んでいる人が大勢います。研究者も多様な価値観を持って、進む道を追求することが重要ですね。

 ——今後のMANAに期待されることについてはいかがでしょうか。

 MANAは、特に若手研究者の人材育成によい形で成功していると思います。今の研究成果だけではなく、5年、10年経った頃、自分の国に帰った研究者たちにとってMANAでの経験がよい糧となっていることも重要です。よい日本の思い出、成功体験を持って自分の国や次のポジションに移っていく。そうすることで、MANAネットワークとも言えるものができ、自分の弟子をMANAに送ってくる。すると海外とのネットワークはより太く広くなります。これも広義に捉えると人材のモビリティのもたらすものです。そういう発展を期待しています。




荒川泰彦 教授
東京大学ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構長、
東京大学生産技術研究所教授・光電子融合研究センター長

1980年東京大学工学系研究科電気工学専門課程修了後、東京大学生産技術研究所講師、翌年同助教授、1993年同教授。1984年から1986年にかけてカリフォルニア工科大学客員研究員。現在は東京大学ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構長、東京大学生産技術研究所教授・光電子融合研究センター長。2004年江崎玲於奈賞、2009年紫綬褒章、2011年Heinrich Welker賞など受賞多数。2014年よりICO(国際光学委員会)会長。


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