アウトリーチLEADER'S VOICE

ナノサイエンスと 過去・現在・未来 ナノテクノロジーの過去・現在・未来  

3人のナノサイエンスとナノテクノロジーのパイオニアがMANAに集合

青野正和MANA拠点長によるドン・アイグラー博士とスタン・ウィリアムズ博士とのインタビュー



—青野:Donさん(Eigler博士)、Stanさん(Williams博士)、MANAへようこそ。こうしてMANAでお二人とお話
しする機会が持ててとても嬉しく思います。ここ4半世紀の間、ナノサイエンスやナノテクノロジー分野で、お二
人と互いに切磋琢磨しまた協力する喜びを享受してきました。この機会に、お二人に心からお礼を申し上げたいと思います。
本日はMANAの拠点長として、お二人にインタビューをさせていただきます。

—青野:お二人はとても興味深い組み合わせで、Donさん(Eigler博士)は基礎研究に関心があり、Stanさん(Williams博士)は応用研究にも関心をお持ちです。
—Eigler:企業で働くときには、まずその企業の収益を上げることが求められます。IBMでは、研究者が興味があったからといって誰も基礎研究は行っていませんでした。すべての研究は戦略的な研究でなければなりませんでした。その意味では、ヒューレットパッカードでのWilliams博士の研究とIBMでの研究には違いはありません。私のIBMでの研究は、将来の会社の成功に向けての戦略としてIBMが認めることができる課題に軸足を置いていました。
—青野:Donさん(Eigler博士)のニッケル表面へのキセノンの操作は、本当にナノサイエンス、ナノテクノロジーでのブレークスルーでした。
—Eigler:最初はそのようなつもりで行っていたのではなく、目的は原子が他の原子や表面にどのようにして結合するのか、より深く解明することでした。極低温走査型トンネル顕微鏡を慎重に操作していたとき、原子を再配置することができたのです。それから、原子を制御しようと試みました。
—青野:Stanさん(Williams博士)は、イオン散乱分光法を用いた固体表面の表面科学の研究から、メモリスタ等のデバイスの研究に方向転換されましたね。何がその動機だったのでしょうか?
—Williams:1994年にノースリッジ地震が発生し、UCLAの私の研究所は完全に壊れてしまいました。その時に、HPで新しい基礎研究グループを立ち上げるオファーをもらいました。
そのコンセプトは、基礎からスタートして、10年から15年後に会社にとって新しい革新的なものを作り出し、それにより将来HPに市場競争力をもたらすということでした。今は、HPで将来に目を向けて「FoundationalTechnologies」と呼ばれるグループを運営していますが、私の活動はここから生まれる技術を市場に出すことに集中しています。
—青野:どのようにしてLeonChuaのアイデアに出会ったのですか?(メモリスタは、1971年にカリフォルニア大学バークレー校の電気技術者であったLeon Chuaが予言した。)
—Williams:HPでは、技術の展望に時間を費やしていました。当時、ムーアの法則に沿って半導体の集積密度は増加していましたが、ムーアの法則が成立しなくなり、さらに小さいトランジスタの製造が不可能になったらどうなるのだろうかと考え始めました。そこで意図的に、新しい形の電子デバイスや光デバイスについて調べました。まず無機材料を調べ、原子スイッチについて研究を始めました。それが、メモリスタに遭遇することとなったきっかけです。同時に、フォトニクスについても調べていて、リング共振器に基づいたフォトニックスイッチを開発しました。
—青野:お二人に、ナノサイエンスやナノテクノロジーに対する将来像をお聞きしたいのですが。
—Eigler:ナノスケール科学は長いこと研究されてきました。材料の特性やナノ構造物で生じる不思議な挙動につ
いて学ぶ機会が多くあります。大きなインパクトを与えたナノテクノロジーはまだ目にしていませんが、これから15~20年後には、ナノスケールで物を制御できるようになり、人々の生活様式が変わるかもしれません。しかし、これが大変革であるかどうかは分かりません。
—Williams:ナノテクノロジーはとてつもなく重要な技術ですが、それは多くの人たちが考えているような理由からではありません。ナノテクノロジーは、多くの聡明な若い人たちを引きつけ、この聡明でやる気のある若い人たちが、研究の重要な母体を形成してきました。今あるのは基礎ですが、これからはその基礎を発展の土台にする時です。
—青野:Donさん(Eigler博士)は学際的な協力の重要性をどのように考えておられますか?
—Eigler:私は、必ずしも「学際的」という言葉は好きではありません。というのは、この言葉は科学を縦割りにする考えだからです。これまでの15~20年の間にナノサイエンスでなされてきた努力の一つの成果は、新しい科学に取り組む機会を見つけるために、ナノサイエンスの研究者とこれまでの手法に長けた人達とが話し合うことができるようになったことです。異なる分野の知識と経験を結びつけることができる能力はとても強力な力となります。
—青野:Stanさん(Williams博士)は政府の科学技術政策についてどう思われますか?

—Williams:政府にいる多くの人達は、研究が何であるかについて誤ったイメージを持っています。大学での研究から生まれる新しい知識は重要な副産物ですが、大学の本当の産物は国の経済を強化する新しい進歩をもたらす高度な技術と高いモチベーションを持つ人を育成することです。今は、大学での研究内容に重点が置かれすぎています。私は、この考えを政府の人たちにたたき込むことを試みていますが、悲しいことに意思決定者たちは彼らが決定をするシステムについてよく理解していないというのが現状です。
—Eigler:私の研究者としての人生の中で最も有益だったと思う点は、若い研究者たちに機会を与えることができ、その後彼らがその機会をつかみ取るのを見届けたことです。若い研究者たちに機会を与えることは、科学者たちがある程度引き受けなくてはならない義務だと思います。そうでなければ科学は衰退してしまいます。人間としてのさまざまな努力は人生を豊かにしますが、人類を前進させるのは新しい基礎的な知識です。これは研究を通じて得られます。
—青野:Donさん(Eigler博士)、あなたは実際には多数の若い研究者を雇うことができたと思いますが、(実際は)小さなグループでしたね。Stanさん(Williams博士)、あなたのグループは大きくて、多くの若手研究員を非常に上手に管理していますね。
—Eigler:私は、小さなグループの一員でいることにより、科学になるべく近いところにいて、願わくばできる限り研究室にいたいと思っていました。その場合でもこれはなかなかかなわず、研究室にいる時間がどんどん少なくなってきてしまいました。
—Williams:私がHPに迎えられたのは、新しいカルチャーを創造し、いっそう基礎的な研究を導入するためでした。社内にその可能性を作り出すことを期待され、その結果大きなグループを担当することになりました。しかし、ここまで大きなグループとすることを考えていたわけではありません。2000年代のナノテクノロジー研究の急増以後、関心の高い若い研究者を探し続け、彼らを雇用するまったく新しい方法を見出しました。次にこれらの研究者たちが外部から新しい研究者を見つけてきたのです。
—青野:お二人はこれからどのような研究と人生をお考えですか?
—Eigler:私は何か新しいことをしたいと思い、3年前にIBMを退職しました。個人的には、ずっと基礎物理実験について考えてきました。例えば、実験室での重力速度の計測方法について考えてきました。基礎物理実験を選んだ理由の一つは、不可能ではないにしても非常に難しいからです。
—Williams:私は認知科学をエンジニリング上の課題として考えています。この研究から、脳の機能に関しては、人々が思っているほどは解明できていないということが分かってきましたので、数理的にその詳細を解明しようと試みています。人口頭脳を構築することを試みることにより、脳の機能の解明に大きな貢献ができることを期待しています。実際の脳と同じくらい精巧なものを作るまでにはまだ数世紀かかるかもしれませんが、非常に効率よく脳が行える計算対象があり、それが今日のコンピュータをさらに効率の良いものにすることができるかもしれません。
—青野:インタビューの前に、お二人はMANAの研究室をご覧になりましたが、MANAについてどう感じられましたか。またMANAの将来についてのアドバイスをお聞かせください。
—Eigler:とても羨ましく思います!MANAで利用できる研究資源の多さに圧倒されました。MANAは、日本の将来、そしてまた国民一人一人の将来に向けての投資だと思います。世界中のどこにもMANAのようなものはありません。
—Williams:Donさん(Eigler博士)の考えに同感です。ここで行われている研究は、他で行われているものの中でトップクラスのものです。MANAは夢を持ち、他の人が不可能と考えることを求めていくことができる場所ですね。ここでは、最先端の知識を完全に改める機会に満ちています。
—青野:そうですか! ナノサイエンスとナノテクノロジーの最先端におられるお二人のお言葉は、MANAにいる科学者たち全員の大きな励みとなり勇気を与えてくれると思います。どうもありがとうございました。



Don Eigler博士
The wetnose Institute for Advanced Pelagic Studies所長


物理学者のDonald M. Eigler博士の専門は、極低温走査型トンネル顕微鏡の開発とその利用分野で、ナノスケール構造物の物理的特性を解明してコンピュータ演算に応用することを目的として研究を続けてきました。Eigler博士は1989年に、極低温走査型トンネル顕微鏡で個々の原子を操作して35個のキセノン原子を用いて「IBM」の文字を書いたことは良く知られています。Eigler博士は、カリフォルニア大学サンディエゴ 校で学士と博士の学位を取得し、1986年に研究スタッフの一員 としてIBMに入社、1993年にIBM フェロー に任命され、2011年に退社しました。


Stan Williams博士
HP社のシニアフェロー


ナノテクノロジー分野で世界をリードするR. Stanley Williams博士は、現在ヒューレットパッカード(HP)社のシニアフェローで、カリフォルニア州パロアルトにあるヒューレットパッカードラボラトリーのFoundational Technologiesの副所長です。1974年にライス大学で化学物理学の学士を取得、1978年にカリフォルニア大学バークレー校で物理化学の博士号を取得しました。HPでは、実際に作動するソリッドステートのLeon Chuaのメモリスタを開発したグループのリーダーを務めていました。現在の研究は、ナノエレクトロニクスおよびナノフォトニクス、コンピュータ演算および認知科学です。Williams博士は、査読付科学誌に400編以上の論文を発表し、世界中で300件を超える特許を取得しています。


青野正和 MANA拠点長


現在MANA拠点長およびNIMSフェローである青野博士は、1972年に東京大学から博士号を取得し、研究員として当時の無機材料研究所(NIRIM)に入所、1978年から80年まで、Visiting Professorとして米国ウィスコンシン大学マディソン校のシンクロトロン放射光センターでDean Eastman博士が率いるIBMのグループとともに研究に従事しました。1986年に主任研究員として理化学研究所(理研)に移り、表面・界面研究室を立ち上げました。1996年から2005年まで大阪大学教授を兼任し、2002年にナノマテリアル研究所長としてNIMSに転任、2007年に現在の職に任命されました。
青野博士は、「直衝突イオン散乱分光法」、「アトムクラフト(原子細工)」、「原子スイッチ」、「マルチプローブSPM」、「化学ハンダ」等の言葉で代表される表面化学、ナノサイエンス、ナノエレクトロニクス、ナノスケール計測分野で先駆者としての多くの研究を行ってきました。


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