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固体にフェムト秒レーザーを照射すると、コヒーレントフォノンと呼ばれる足並みの揃った原子の集団振動を誘起することができます。ここではコヒーレントフォノンがどのように生成し減衰していくかを紹介します。 |
物質を構成する原子は常に動いています。固体中では原子は集団運動し、この運動は(量子力学では準粒子として扱われ)フォノンと呼ばれます。
固体は非常に多数の原子から構成されますが、個々の原子は通常お互いに無関係に──ばらばらの位相で──運動しています。ところが外界から瞬間的な力が加わると、隣り合った原子同士が調子を揃えて──同位相で──運動を始めます。このような原子運動をコヒーレント・フォノンと呼んでいます。
フォノン一般がそうであるように、コヒーレント・フォノンも光学と音響の二つの分枝に分類されます。コヒーレント光学フォノンは巨視的な空間にわたって位相の揃った原子振動の定在波です。コヒーレント音響フォノンは固体中を伝播する歪みやずれの波束です。
当研究室では固体材料中の電子フォノン相互作用のダイナミクスを調べるために、コヒーレント光学・音響フォノンの両方を実験的に研究しています。

グラファイトのコヒーレント光学フォノン:
ポンプ・プローブ実験でポンプ光により誘起された原子の周期的振動が、反射プローブ強度をリアルタイムに変調する。速い振動と遅い振動はそれぞれ周期21と770フェムト秒の面内C-C伸縮と面間ずれ振動に由来する。変調の周期は物質に固有で、プローブ光の波長によらない。 |

ガリウム燐のコヒーレント音響フォノン:
ポンプ・プローブ実験でポンプ光により誘起され固体中を伝播する歪みパルスが、干渉計の一方の光路を動く鏡として働き、反射プローブ強度を変調する(ブリルアン振動)。変調の周期は数十ピコ秒程度で、プローブ光の波長λに依存する。 |

フェムト秒パルス光がどのようにして固体中にコヒーレントフォノンを誘起するのでしょうか?
物質が光に対して透明、すなわち非共鳴励起の場合には、コヒーレント光学フォノンは瞬間的誘導ラマン散乱 (ISRS)によって励起されます [1]。
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誘導ラマン過程を起こすためには通常(エネルギーの差が光学フォノンのエネルギーに相当するような)2色の光を用いますが、フェムト秒パルスは不確定性関係からスペクトル幅が広いため、そのような2色の対が多数含まれています。
原子は光照射の瞬間に平衡位置から動き出すため、振動は時間のサイン関数になります。光の偏光を変えると、誘起される振幅はラマン散乱の選択則に従って変化します。
光のエネルギーが固体のバンドギャップを超える共鳴励起下では、状況はさらに複雑になります。
- 自発的共鳴ラマン散乱が起こる条件下(フォノン対称性、レーザー波長や偏光など)では、共鳴ISRSによるコヒーレントフォノンの励起が可能です[2]。
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励起波長を変えた場合の共鳴スペクトルは、対応する自発ラマン散乱のそれに対応します。初期位相は駆動力の持続時間に依存して、サイン関数からずれていきます[3]。

それに加えて、特定の物質・フォノンモードについての非ラマン励起機構も提案されています。
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ビスマスやアンチモンなどパイエルス歪みをもつ固体では、変位型励起 (DECP) と呼ばれる機構が提案されています [3]。
- DECPモデルでは、パイエルス歪みに直接関わるA1gモードの振動ポテンシャルが最小になる座標が、電子励起によって瞬間的に変位します。この場合の初期位相は電子励起状態の寿命に依存します[3]。励起状態の寿命が振動周期より十分に長い場合は、時間のコサイン関数に近づきます。
- 同じビスマスやアンチモンでも、パイエルス歪みに直接関わっていないEgモードは、ISRSによって生成することが報告されています[4]。

- 極性半導体の表面電荷空乏層では、光励起キャリアが空乏層電場を突然遮蔽する、過渡的空乏層電場遮蔽 (TDFS) が提案されています[5]。
- このモデルでは、空乏層内に光励起された電子プラズマと正孔プラズマが逆方向にドリフトすることによって、空乏層電場を瞬間的に遮蔽します。この突然の電場変化にともなって、正負のイオンが一斉に振動を始めます。GaAsなどのIII-V族半導体の縦光学(LO)フォノンの励起に、このモデルは特に重要な役割を果たします。GaAsのLOフォノンは共鳴ISRSとTDFSの両方によって誘起されますが、各々の過程の寄与は偏光依存性に基づいて実験的に区別することができます[6,7].
共鳴励起下でのコヒーレント音響フォノン誘起については、3つの生成機構が提案されています。
- 熱弾性効果 [8]
- おもに金属で、レーザー光照射による急激な温度上昇にともない、結晶格子が急速に膨張することによって歪みが起こります。
- 変形ポテンシャル相互作用 [8]
- おもに半導体で、光励起による電子エネルギーの変化が原子変位を引き起こします。
- 圧電遮蔽効果 [9]
- 極性半導体の(111)表面や界面などで、光励起キャリアが圧電場(piezoelectric field)を瞬間的に遮蔽することによって起こります。
コヒーレントであろうとなかろうと、フォノンは長く生き延びることができません。音響フォノンの寿命は低温でもせいぜいマイクロ秒、光学フォノンの寿命はナノ秒以下です。
欠陥のない「完全な」結晶では、フォノンはおもに基準振動間の非調和結合によって消滅していきます。例えば高振動数フォノン1個が自発的に崩壊して、より低振動数のフォノン2個を生成する過程です。寿命の温度依存性測定することにより、どのような非調和過程がフォノン崩壊を支配しているのかを知ることができます[10]。
不純物原子、異なる質量の同位体原子、空孔などの結晶欠陥による散乱によってもフォノンは消滅します[11]。
強い光励起や外部電場の印加などで高密度のキャリアが存在する場合には、電子フォノン相互作用がフォノンの寿命を決定することがあります[12]。グラファイトやカーボンナノチューブのような低次元系では、高振動数フォノンはフェルミ準位近傍に電子正孔対を生成することによって崩壊します。このような場合には、光励起がフォノンの寿命を縮めるのではなく長くすることがありえます[13]。
- References
- Dhar et al. Chem. Rev. 94, 157 (1994).
- Stevens et al, Phys. Rev. B 65, 144304 (2002).
- Zeiger et al., Phys. Rev. B 45, 768 (1992).
- Ishioka et al. J. Appl. Phys. 100, 093501 (2006).
- Pfeifer et al., Appl. Phys. A 55, 482 (1992).
- Yee et al., Phys. Rev. Lett. 86, 1630 (2001).
- Ishioka et al., Phys. Rev. B 84, 235202 (2011).
- Thomsen et al., Phys. Rev. B 34, 4129 (1986).
- Sun et al., Phys. Rev. Lett. 84, 179 (2000).
- Hase et al. Phys. Rev. B 58, 5448 (1998).
- Ishioka et al. Physica B, 316-317, 296 (2002); Appl. Phys. Lett. 78, 3965 (2001).
- Misochko et al., J. Phys.: Cond. Mater. 19, 156227 (2007).
- Ishioka et al., Phys. Rev. B 77, 121402R (2008).