スコータイ


現在のスコータイ市から西へ12kmほどいったところに、スコータイ遺跡がある。タイ最初の独立国家スコータイ王朝は、第三代ラームカムヘン大王の時代に絶頂期を迎えた。それは13世紀前半のこと、自由で豊かな家庭的国家であったと言われる。ムアン・カウ(古都)には、乗合バスで10分少々の道のりである。我々もトラックの荷台を改造したバスで、700年の道のりを遡ることにしよう。
バスは途中ガソリンスタンドに寄りながらも無事ムアン・カウについた。バスの中で知り合ったタイ人のグループと、しばらく行動を共にすることにした。自転車を借りて遺跡の門にさしかかると、彼らは私の入場券を用意していてくれたうえ、お金はどうしても受け取ってくれなかった。多くを語らないが彼らの笑顔に、タイ人の優しさを感じた。
中に入ると一面赤茶色の遺跡群である。しかし彼らはそれらを後回しにして、右奥へと向かっていくのだ。そこにはラームカムヘン大王の記念碑があった。ブロンズの大王の像の前に座って順番におじぎをしてゆく。おでこが地面に付くまで深々と丁寧に。タイの人々の国王に感じている親しみの深さに、その時直にふれることができた。 城壁の内のほぼ中央部分に、設けられているのがワット・マハタートである。その建物の大きさ、仏像の数から王宮寺院としての威厳を推し測ることができる。



銀の池に美しく反射しているのが、ワット・トラパン・グーンのチェディ。これと対照的に金の池に浮かぶのが、ワット・トラパン・トーンである。
タイ式のチェディの多い中、唯一異色を放っているのが、三つのプラーンを持つクメール人の建てたワット・シー・サリイである。
城壁の外にも、城壁を囲むようにたくさんのワットが点在している。 スコータイ最後の建物ター・パー・デーン堂は、ヒンドゥー教の祠堂である。
城壁の外を周回する道路を行くと、四角く素っ気ない建物我現れた。ワット・シー・チョムである。辺りには木が数本あるだけで、他の建物は何もない。中に入ってみると建物いっぱいぎりぎりに納められている巨大な仏像アチャナ仏は、雨にあたって若干汚れているが、それがどことなしかスコータイの滅亡を悲しんで涙を流している様に見受けられた。

城壁の南側のワット・チェトラポンには珍しい巨大な遊歩像と立像が比較的よく保存されている。
ワット・サパン・ヒーン:高さ200mのこの丘を上り詰めると、そこからはスコータイ遺跡の全容が見渡せた。右手を挙げたアッターロ仏は、ここからスコータイの盛衰をずっと眺めてきたのだろう。
バンコク|アユタヤ| ロッブリー|チェンマイ