アユタヤー


アユタヤーは、四方を川に囲まれた陸の中の島となっている。スコータイに替って400年以上にわたって繁栄したアユタヤー王朝は、山田長政によって日本にもなじみが深い。しかし今目の前にするアユタヤー遺跡は、1767年ビルマ軍によって破壊された廃虚なのである。
最初に訪れたところは、ワット・ロカヤスタである。日向にゆったりと横たわっている涅槃仏は、いかにも穏やかそうな表情を浮かべている。見ている私も穏やかな心持ちになって、「私はここへ来るためにアユタヤーにきたのだ」という確信とともに、一時間もの間仏陀と共に過ごした。しかし、遡ること数百年間この涅槃仏の回りでいったいどのようなことが起こったのであろうか。

ワット・プラ・シー・サンペットは王宮付属寺院である。三基の立派なセイロン式のチェディは、三人の王のお墓であるそうだ。
ワット・プラ・ラームには、プラーンという大きな塔堂があり、そこへ昇ると180度ぐるっとアユタヤが一望できる。視線を足下へ移すと、プラーンを囲うように整然と立派な回廊が作られている。地上に下りてその回廊に足を踏み入れるや、回廊に並べられた石仏たちは、無惨にも首や手足が切り落とされているではないか、破壊のすさまじさが忍ばれる。



チャオ・ブロム通りを挟んで南北に建っているのが、ワット・プラ・マハタートとワット・ラチャブラナである。アユタヤ駅から王宮に向かう途中、さっそうと現れるのがこの二つの寺院。京都でいえば、東寺、西寺といったところであろう。どちらの仏塔からも立派な金細工などが入った宝箱が発見され、チャオプラヤー国立博物館の両脇の特別室に納められている。
ふっと、寺院片隅の木の根本を見ると、木の根っこに取り込まれてしまった仏頭があるではないか。きっと誰かが破壊された仏頭を、そっと木の根本に置いたのが始まりだろう。その後長い年月の間に、木の一部のようになってしまったそのお顔は、やはり悲しげであった。

タイ旅行では安くて便利なゲストハウスに泊まった。安いホテルより安全であるし、友達ができるというメリットもある。トゥクトゥクのおじさんに頼んで数カ所回ったがどこも満室で、やっとあるゲストハウスに至った。これが仏陀のお導きなのか、何かの引力によって引き合わされた、そもそもバラバラの三人は、その晩遅くまでゲストハウスのスタッフまで巻き込んで飲み語り明かすことになった。こういう出会いは一人旅の醍醐味なのかもしれない。そんななかで得た一つの結論は、旅というものは外の景色を見ているようでありながら、結局自分自身を見つめ直すことになると言うことだ。ぜひ皆様にも旅する事をおすすめします。


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