バンコク

タイで知り合った友人が「モツの煮込みの様な」と形容したこの町バンコク。戦後復興期の日本、もちろん当時私はまだ生まれていなかったが、きっとそんなではなかったかと思わせるような、混沌とした、活気あふれる町である。
唯一この町の熱気を冷ましてくれるのが、チャオプラヤー川である。遠く北タイからアユタヤーを経由して流れてくるこの澱んだ川に古いワットヤ高層ホテルの写る様は、タイの古今を感じさせずにおかない。 「東洋のベニス」と呼ばれるここでは、船は主要な交通機関である。水上バス、チャオプラヤーエクスプレスは、地上の渋滞やトゥクトゥクの騒音が嘘のように、快適に走って行く。 車掌さんに数バーツを払って、川面を伝う涼しい風が、気持ちよい、一時の船旅を楽しむことにする。

王宮

バンコク中心地を囲うように大きく湾曲して流れるチャオプラヤー川に沿って、王宮、ワット・プラケオをはじめ、由緒あるワットや市場等が集中している。
何といってもまず最初に訪れなければならないのが、バンコク王朝の中心として建てられた王宮であろう。有名なミュージカル「王様と私」舞台となったところで、西洋式とタイ式の調和のとれた素晴しい宮殿であるが、現在でも公式行事に使われており、内部は一部しか公開していない。


ワット・プラケオ

ラーマ1世はバンコクに首都を定め、ウェインチャン(ラオス)から持ち帰ったエメラルド仏を安置するために、ワット・プラケオ(エメラルド寺院)を建設した。ワット・プラケオに入って最初に驚くのは、同じ仏教寺院でありながら、日本のそれといかにかけ離れているか、ということである。
寺院のありとあらゆる所は様々な色のタイルで作られたモザイクが敷き詰められ、仏教や仏塔は金ぴかに塗上がっていて、何しろ目にするもの全てがきらびやかなのである。 日本の古寺の朽ち果てた様子に、私たち日本人の多くは趣を感じるが、これらも建立された当初は、様々な色できらびやかに装飾されていたのである。いつから私たちの趣向は変化したのだろうか。タイのこのきらびやかさこそ、本来の仏教寺院の姿に近く、そしてこの姿は、現在もなお発展し続けている。
ワット・プラケオには3種類の塔がある。
写真左からチェディ形、モンドップ形、プラーン形である。

ワット・トライミット

ここは、入り口で10バーツのお参り用セット(金箔、線香、ローソク、蓮の花)を買って行く。線香は日本のそれとはまったく違っていて、棒に火薬を塗った花火そっくりの形をしている。
階段を登ってこじんまりとした本堂に入ると、そこには透き通る様な輝きの仏像があった。
タイの仏像は金色に塗られたものが多いが、これはその比ではない。時価120億円といわれる純金製のブッダを前にして、その荘厳さ故にしばらく動くことができなかった。
スコータイ時代に作られたこの仏像は、ビルマ軍による侵略を受けたとき表面に石膏が塗られ、略奪をまぬがれたらしい。1955年の移動中の事故で石膏が割れて偶然見つかったそうだ。
さて、「お参り用セット」であるが、金箔を仏像の、自分が良くなりたいと思う所へはりつけ、ローソクに火を貰ってお願いする。

私はここで最初に旅の安全を祈った。無事楽しい旅ができたことに感謝しています


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