NIMS分子・物質合成プラットフォーム
サイトマップ
独立行政法人 物質・材料研究機構
文字サイズ 標準 拡大   Japanese English
トップページ > 研究支援実績 >利用実施例 > プロテオミクスによる胆道癌の新規バイオマーカーの探索

研究支援実績

 

利用実施例 -プロテオミクスによる胆道癌の新規バイオマーカーの探索-

フォルマリン固定パラフィン包埋組織切片を用いた臨床プロテオミクスによる胆道癌・膵臓癌の新規バイオマーカーの探索

東北大学病院 肝胆膵外科 小野川 徹 先生

はじめに


 東北大学病院 肝胆膵外科の海野倫明教授のお部屋の小野川先生がナノテクノロジー融合ステーションのレーザーマイクロダイセクションとLC/MS/MSを使えないかとお声をかけてくださったのは2008年の秋でした。それ以来何度となくグループの皆様が仙台からつくばにおいでになり、貴重な検体を用いて様々な成果をあげておられます。さらに東日本大震災の際には当然、皆さん、第一線の医療者としてご活躍されました。臨床の現場で常に患者さんと接している先生方に今回ここに紹介する探索研究の背景、意義、さらに診療を実践しながらさらに研究も行うという情熱のよって来る所以について、仙台の東北大学で、海野先生、小野川先生ならびに今回の胆道癌・膵臓癌の解析に中心的に取り組まれた前田先生、高舘先生にお話を伺いました。

東北大学病院肝胆膵外科研究グループの方々
前列向かって左から:小野川先生/海野先生/森川先生
後列向かって左から:高舘先生/前田先生/白崎先生


研究の背景

 私ども肝胆膵外科はその名の示す通り肝臓・胆道・胆嚢・膵臓を対象に外科的治療を行う診療科であり、私達は臨床家です。基礎医学の研究者ではありません。その私たちがつくばに出かけてまで今回の研究をしようと思い立ったのは臨床家として現在の胆道癌、膵臓癌の診断、さらには治療の現実を何とかしたい、という思いからです。

 ナノ融合ステーションにうかがった直接のきっかけは臨床とはあまり関係のない学会にプロテオーム(特定の細胞、組織で発現しているタンパク質を網羅的に調べる手法)は今どうなっているの、という興味で参加したことです。そこでフォルマリンで固定した通常の組織標本を使ったプロテオームが技術的に可能だという話を聞き、ぜひやってみたい、と思ったところ、その技術を日本に紹介していた会社の方が物質・材料研究機構のナノ融合ステーションの存在を教えてくれ、早々に連絡したわけです。

 フォルマリン固定パラフィン包埋(英語でFormalin Fixed Parafin EnbededというのでFFPEと略す。)の組織標本に含まれているタンパク質をできるだけすべて解析、同定するプロテオームができると何が良いかと言えば、通常、手術で取り除いた癌などの組織は手術後にさらに症例を詳細に検討、診断に用いるため等の理由からこのFFPE標本として保存しておくケースが多く、当診療科でも過去に遡って多くの病理標本が保存されています。そしてこれらの病理標本はそれぞれの患者さんの診療情報と結びついています。つまり進行度や治療経過、抗癌剤投与の有無、術後の経過などさまざまな条件にあう例を用いて比較検討することも理屈の上では可能なわけです。ただこれまではフォルマリンで固定してしまった組織からタンパク質を抽出してそれらが何というタンパク質であるか決める、などということは出来ない、と思っていたので考えすらしませんでした。ところがそれがもしかすると可能で、なおかつ実施できる施設が公開されている、というのですからすぐに研究を計画し、胆道癌マーカーについて探索研究を開始しました。

 胆道とは肝臓で作られた胆汁の通り道で、胆道にできる悪性腫瘍を総称して胆道癌といいます。胆道癌は日本国内における癌の部位別死亡者数では第6位です。さらに、その死亡/罹患率は、この十数年間でほとんど改善されておらず(文献1)、消化器系悪性腫瘍の中でも最も予後不良な癌のひとつであると考えられています。さらに胆道癌は早期には自覚症状が少なく、また診断も実は簡単ではなく、組織内に造影剤を注入しての診断や、さらに組織を一部取り出して組織標本をつくっての診断や細胞を取り出しての診断を行います。このように患者さんに負担をかけてしまうやり方で診断しようとしても癌だと確定するのは簡単ではなく、正診率は必ずしも高くない。なにか良いマーカーがあれば、というのはずっと感じていました。例えば前立腺癌の早期発見に大変役立っているPSAのように、この分子があれば癌であることがわかる「癌マーカー」を見つけられれば大変役に立つ、と思っていました。現在のところ、胆道癌の診断用マーカーとして、癌胎児性抗原CEAというタンパク質や糖鎖抗原CA19-9というものが知られていますが、これらはいずれも胆道癌に特異的なマーカーではありません。実際、CEAは胆道癌だけでなく、結腸直腸癌、胃癌、膵臓癌、乳癌、肺癌、頭部癌、頸部癌を有する患者の血清中でも増加することが知られています。また、CEAは、初期のがん患者の血清中では増加しないことから、癌の早期診断には有効ではないと考えられています。CEAと同様に、CA19-9は、消化器系の癌のマーカーといわれていますが、特異性の高いマーカーではなく、胆道癌を特異的に検出するために適当なマーカーとは言えません。また初期の癌の場合、CA19-9の顕著な発現の変動は認められないことから、癌の早期発見には利用できず、手術後の再発モニター用に使われています。以上のように、胆道癌を特異的に検出するためのマーカーや、胆道癌の早期診断のためのマーカーは未だ見つかっていません。

 先行して胆道癌の研究をすすめる一方、この手法で他の癌も研究してみたい、と思っていました。当診療科の特徴から膵臓癌の解析が当然考えられます。膵臓は、膵液とよばれる消化酵素を含む液体を分泌し、それを膵管を通じて消化管に送り込む分泌腺であるとともに、膵臓組織に無数に散らばるランゲルハンス島とよばれる球状にして小さな細胞の塊がインスリン、グルカゴンなどのホルモンを血液中に分泌する内分泌腺としての機能も有する大変重要な臓器です。膵臓癌は日本国内における癌の部位別死亡者数の統計では第5位で、膵臓癌の罹患数は死亡数とほぼ等しく、また、1993~1996年での部位別がん患者の5年相対生存率は最も低くなっています(文献1)。つまり、膵臓癌は診断、治療ともに困難で、消化器系悪性腫瘍のなかでこちらも最も予後不良な癌だといえます。長期生存を得るための唯一の治療法は外科手術で癌を除去することですが、膵臓癌は、早期には自覚症状がなく進行が非常に早いため進行癌で発見されることが多く切除率(患者さんのうち手術で癌を取り除くことが可能だった方の割合)は約30%にとどまります。また、手術後の再発率も極めて高く、切除例の5年生存率は10%程度にすぎません。膵臓癌の予後を改善するためには、早期診断のみならず、手術や化学療法などの有効性を評価した上での的確な治療方針の確立が重要です。

 膵臓癌診断マーカーに関しては大規模なプロジェクトでの探索がいくつも実施されているにもかかわらずなかなか良いものは見つかっていません。現在のところ、膵臓癌の診断用マーカーとして、胆道癌と共通の癌胎児性抗原CEAや糖鎖抗原CA19-9さらにDUPAN-2、Span-1などのタンパク質が知られていますが、これらはいずれも膵臓癌に特異的なマーカーではなく、偽陽性も多く出ます。またその一部は膵臓癌と膵炎とを区別できないものであるなど、膵臓癌の早期診断には有効でないと考えられています。さきほど述べたとおりCEAもCA19-9も、膵臓癌についても良いマーカーとは言いきれず、膵臓癌に関してもこの癌を特異的に検出するためのマーカーや、治療後の予後予測のためのマーカーは未だ見つかっているとは言えません。

 私どもはFFPE標本を用いて実施する研究の強みは何かということを膵臓癌のプロジェクトに着手する際に考えました。そしてそれはやはり、それぞれの組織標本を提供くださった患者さんの予後など、治療履歴がわかっている、という点だと考えたのです。この強みをより一層生かすべく、予後予測マーカーの探求、ということを今回試みよう、と決めました。膵臓癌では同程度の進行度で、外科的手術できれいにその癌を取り除けた、と組織学的に確認できた症例でも、その後、割とすぐに再発してしまう患者さんとそうでない患者さんに分かれる、ということをよく経験してきているので、もしもこの治療に対する反応を治療開始前に予測することができれば各患者さんによりあった治療を行えることになり、患者さんたちの負担を軽減できます。

 解析の部分を中心にナノ融合ステーションでの支援を受けました。(レーザーマイクロダイセクションについてLC/MSについて:参照)


今回の成果

研究の流れ
  目的のFFPE組織標本から通常の病理プレパラート作製と同様にレーザーマイクロダイセクションシステム用に開発された特殊なコーティングが施されたスライドグラス上に10μm厚の薄切標本を抽出用プレパラートとして作製し、目的とする細胞の部分だけをマイクロダイセクションで回収しました(図1)。厚さ10μmの切片のおよそ2×4mmの範囲を採取すればだいたい30,000個の細胞が得られると推定できるので、約2~4μgのタンパク質が得られると考えました(LC/MS/MSによる解析10回分に相当)。回収したサンプルからタンパク質を可溶化した後、タンパク質分解酵素(トリプシン)で限定的に分解しペプチド化しました。集積したサンプルをNIMSナノ融合ステーションのLC/MS/MSを用いて、同じサンプルを3回測定し、網羅的にプロテオーム解析を行いました。

目的細胞のダイゼクションの実際(膵癌)(図1)
目的細胞のダイゼクションの実際(膵癌)


胆道癌
  胆道癌については早期発見が困難で予後不良な肝外胆管癌に絞り、癌の進行度が予測できるようなマーカーの発見をめざして研究することとしました。手術後に残せる肝臓の容積の増大を目的とした門脈塞栓療法という治療法の導入や画像診断技術の向上で、大量の肝臓切除などの手術方式や手術の成績が安定化した1998年~2008年までに当科で手術を施行され、臨床情報や予後情報が明らかで手術前に放射線照射治療や化学療法をうけた症例、および在院中に死亡した例を除いた肝外胆管癌のFFPE組織標本153例から早期癌(Stage I) 7例、進行癌(Stage IV) 7例の計14例を対象としました。コントロール(非癌部組織)には胆道癌以外の症例から採取された胆管上皮7例を用いました。(図2)

東北大学病院肝胆膵外科における胆道癌切除症例の治療成績と今回の解析対象(図2)
東北大学病院肝胆膵外科における
胆道癌切除症例の治療成績と
今回の解析対象

 

(図3)
胆道癌プロテオーム解析の結果

これら21症例(癌部Stage I 7例、癌部Stage IV 7例、非癌部7例)のFFPE標本からレーザーマイクロダイセクションで胆管癌細胞または胆管上皮細胞を切り出し、プロテオーム解析用サンプルとしました。網羅的なLC/MS/MS解析を行ったところ、Stage I:1266種類、Stage IV:1143種類、非癌部:1095種類(癌部:1664種類、全体:1993種類)のタンパク質を同定できました(図3)。
  次にタンパク質同定の根拠となった同定ペプチド数・ペプチド総数・アミノ酸数・サンプル数等の数値データから、近似的な定量法であるスペクトラル・カウント法により、スペクトラルインデックス、相対発現量、相対変化量を算出し、統計検定(G検定)により、癌部で有意に高発現していると思われる160種類のタンパク質をバイオマーカー候補として同定しました。これら160種類のバイオマーカー候補についてデーターベース解析及び文献の検討を行い、癌マーカータンパク質となりにくいと考えられるタンパク質を除外した77種類を選定しました。

膵臓癌
  膵臓癌では手術できれいに癌が取れたと考えられる症例の予後が悪い例と良い例に分かれてしまいます。そこで手術後の予後を判定できるマーカーの発見を目指すことにしました。1998~2007年までに、当診療科でR0膵切除(病理学的に癌を残さず切除できたといえる切除手術)が行われ、組織学的に浸潤性膵管癌と確定診断されたFFPE組織156例を対象としました。さらに既知の予後因子の影響を除くため、156例の中から、国際がん分類Stage Ⅲ症例109例を選択し、組織型が中分化型腺癌のものでR0切除が行われた65例のうち、手術後CA19-9マーカーが正常値だった38症例を抽出し、さらにこの38例から手術後に同じ補助化学療法を受け(塩酸ゲムシタビン:1000mg/m3>・週1回投与・3週投薬/1週休薬)、他の病気による死亡や経過観察としての期間が短い症例を除くと8例が研究対象として残りました。この8例の予後は、4例が手術後約2年以内に再発し死亡しており、他の4例はほぼ5年生存が得られていました。これを予後不良群と予後良好群とし、比較検討しました。(図4)

東北大学病院肝胆膵外科における通常型膵癌切除症例の治療成績と今回の解析対象(図4)
東北大学病院肝胆膵外科における
通常型膵癌切除症例の治療成績と
今回の解析対象

 

(図5)
膵癌予後予測因子プロテオーム解析の結果

膵臓癌組織標本からレーザーマイクロダイセクションで病理学的に癌部だと確定された部分を切り出し、プロテオーム解析用のサンプルとしました。予後不良群から924種類、予後良好群からは845種類のタンパク質、正常膵管から730種類、全体で1229種類のタンパク質を同定しました。胆道癌と同様の手法を用いて群間で発現量に有意差があると考えられるタンパク質73種類を選定しました。これら73種は予後良好群で優位に発現するもの(Group 1)53種、予後不良群で優位に発現するもの(Group 2)53種、膵癌で高発現するタンパク質(Group 3)64種でした(図5)。Group1、Group2の106種の候補タンパク質の中から、比較定量により2群間の発現量の差が大きいと算出されたタンパク質27種を選定し予後予測マーカータンパク質候補としました。

その後の経過と今後の目標

 ナノ融合ステーションでの解析結果から得られたマーカー候補タンパク質をさらに定量性の高い手法の質量分析及びそれぞれのタンパク質に対する抗体で組織標本を染めるなどして候補タンパク質の量の比較をより詳しく行い、さらにタンパク質を絞り込んだところです。胆道癌では定量的な質量分析により、12種のタンパク質が癌部で有意に高発現していることが明らかになっています。また、膵臓癌では予後不良群4例、予後良好群4例を用いて、免疫組織化学による発現の特異性、細胞内局在の検証を行った結果、27種のうち3種のタンパク質が、比較定量の結果と同様に予後不良群で高発現していることがわかりました。これらの候補タンパク質については今後さらに検討を加え、マーカーとして使えるかどうか確認していきます。また、現在ここまでの成果の特許を出願し、論文を執筆しているところです。膵臓癌、胆道癌についてこれだけ豊富な臨床データをそなえたサンプルでの解析例はこれまでほとんどないといってよく、かなり良い成果だと自負しています。さて、特許を出願した、と言ってもこれらのマーカー候補タンパク質を独占しようというわけではもちろんなく、得られた知見はどんどん公開してひろく皆さんに検討を加えてもらいたいと考えています。いろいろな違う経験を持つ方々の異なるアイディアがあれば研究が大いに進むのではないかと思っています。そして、今回プロテオーム解析をして結果を得ているわけですが必ずしも直接マーカーになるタンパク質がとれていなくても、今回出た候補タンパク質と関連するタンパク質を探していって、その中からマーカーに使えるものが得られる可能性もあるのではないかと思っていますのでいろいろな考え、バックグラウンドをお持ちの方々に検討していただければ大変良いことだと思っています。


おわりに

 私どもは臨床家ですので患者さんを治すことが第一義です。しかし大学の付属病院という組織の機能はやはり診療のみにとどまるものではなく、診断の新しいエビデンス、方法といったことを世の中に発信していくことも大変重要であり、新しい医療をクリエイトする努力を続けていなければ大学病院としての役割を全うしているとは言えないのではないか、と考えています。ですからこれからも臨床の現場から基礎の方へ発信できるような研究を数多くしていきたいと思っています。また、病気の治療のみならずその病気の研究をし、診断、治療法の改善に少しでも役に立てれば、その結果として、会うことのできない、直接治療に当たれない患者さんをも救うことになるかもしれない、こうも思っていますので、これからも臨床はもちろんですが研究にも力を注いでいこうと考えています。


参考文献

1)国立がん研究センターがん対策情報センターがん情報サービスホームページ
 (http://ganjoho.jp/public/statistics/index.html)を参照。

参照

レーザーマイクロダイセクションについて
LC/MSについて


ページの先頭へ

 
NIMS微細加工プラットフォーム NIMS分子・物質合成プラットフォーム事務局
〒305-0047 茨城県つくば市千現1-2-1

TEL:029-859-2399

NanotechJapan

Copyright (c) 2001-2013 National Institute for Materials Science(NIMS). All rights reserved.