ふたつの大地震の教訓から、社会に出た研究があります。

1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災。
どちらも大きな被害が出ました。

もともと、日本は地震国。来たる大地震から人の命を守るため、NIMSの材料は今まさに、ビルの中でその時に備えています。

地震の揺れを吸収する材料

制振ダンパーというビルの部材(部品)があります。写真のものです。大きなビルの基礎部分に使われていて、ビル全体をぐっと支えています。

制振ダンパー

制振とは、読んで字のごとく、振れ(揺れ)を制する、という意味です。ダンパーは、ショックを和らげる部品として知られています。つまり制振ダンパーは、「揺れを制してショックをやわらげる」ということになります。

ここに、NIMSの材料が入っているのです。

耐震から制振へ

1995年の阪神淡路大震災では、大都市である神戸を中心に多くのビルが倒壊しました。それまでビル建築の地震対策としては、振動に耐える「耐震」が中心でした。強く壊れないようながっちりした造りにする、という考え方です。
しかし、今まで考えていなかったような震度の地震が実際に起きてしまい、この固く強くするだけでは限界があることがわかりました。では、どうするか。

そこで出てきたのが、「免震」「制振」という考え方です。免震は地盤のゆれが建物に伝わるのを防ぎ、制振はゆれを吸収して建物へのダメージを少なくしようというものです。
「免震」は比較的小さな家で使われ、地面との間に揺れを少なくする隙間やゴムをいれようというものです。しかし、巨大なビルではこの方式は使えません。

そこで、制振が注目されるようになったのです。

新しい制振技術を求めて

1995年の阪神淡路大震災から、ビルを造るときにはこの「制振」という考え方をどんどん取り入れようと建築会社は考えるようになりました。
大阪に本社がある竹中工務店もそのひとつです。(大阪も阪神淡路大震災で大きな被害がありました。)

制振ダンパーで、地震の揺れを吸収するにはどんな材料がいいのだろうか。竹中工務店の研究者は検討を重ねていました。
同じころ、NIMSでは1990年代からひとつの研究を進めていました。

形状記憶合金です。

ある素材に力を加えて変形させても、元に戻る性質が形状記憶効果といわれるものです。熱を加えると元に戻る針金や、曲げても手を離すと元の形に戻る眼鏡のフレームなどがその代表例です。

竹中工務店とNIMSは、2003年、この「形状記憶の元に戻る性質」を制振ダンパーに使えないかと研究を開始しました。このアイデア自体は昔からあり、特に、変形しても力を開放すると元に戻る「超弾性」の性質が有効だと考えられ、研究もされてきました。
しかし、超弾性を示す形状記憶合金の多くは高価で建築用の大型部材を作ることが難しく、一方、NIMSが開発していた安価な鉄系の形状記憶合金は超弾性を示しません。

一度変形すると、自分では元に戻れないNIMSの形状記憶合金。これを、制振ダンパーとして使うことができるのだろうか? 竹中工務店と議論を重ねる中で、意外なところに解決の糸口があることに気が付きました。

異分野連携による新発見

それは「制振ダンパーでは必ずしも超弾性は必要ではない」ということ。

そもそも、金属が壊れる仕組みとは、目に見えない原子のつながりがちぎれることです。強い力が加わったり、小さな力でもそれが繰り返し加わると、原子のつながりがちぎれて壊れてしまいます。これが、金属が壊れるということです。 地震の揺れを吸収しながら、金属が壊れないようにするには、地震の揺れを受けても原子のつながりがちぎれないようにすればよいのです。

そこでポイントとなるのが、地震の揺り戻しです。
地震は一方向に揺れて終わりではない。反対向きにも同じような力がかかります。
超弾性は、力を加えると原子の並びがちぎれないまま変形し、力を開放すると自分で元の原子の並びにもどる性質です。 しかし、地震には揺り戻しがあるので、自分で元の形に戻れなくても、反対向きの揺れ(力)で、元の原子の並びに戻ればよいのです。

このことに気が付いたNIMSと竹中工務店は、超弾性とは異なる新しい変形の仕組みで、はるかに安価に、揺れによって原子のつながりがちぎれない合金を生み出しました。

しかし、実際には採用されなかった

その合金は鉄(Fe)、マンガン(Mn)、シリコン(Si)を基本成分として、微量のクロム(Cr)、ニッケル(Ni)、アルミニウム(Al)などが混ざっています。基本成分のFe、Mn、Siの頭文字をとってFMS合金と呼ばれ、それぞれの元素を混ぜる割合で材料の強さや寿命が決まります。
2008年には、素材の製造を担当する淡路マテリアが研究に加わり、地震で壊れにくい合金を実現するために、混ぜる割合について何度も検討を繰り返しました。

そしてついに、従来よりも耐久性の高い合金の開発に成功したのです。さらに、2009年にはこの合金を用いた制振ダンパーの試作品もできました。
しかし、それでも、なかなか実際のビルに使われることはありませんでした。なぜなら、加工しにくく、値段も高かったからです。「そこまで高性能でなくてもいいんじゃない?大きな地震なんてめったに起きないんだから」「値段が高いのであれば、なかなか使えないよね」「安いダンパーを増やせば同じ性能がでるんじゃないの?」そんな意見が多く出ていました。
阪神淡路大震災から10年近くたち、大地震に対する備えについてあまり議論されなくなってきていたという背景もありました。

しかし、大きな地震は起きました。2011年の東日本大震災です。

プロジェクトを加速させろ!

2011年の東日本大震災の被害も甚大でした。警鐘が鳴らされてきた大きな地震が、起きてしまった。 特に高層ビルで問題になったのが、長く大きく、ゆっくり揺れる「長周期地震動」です。 こうした揺れは、ビルのどこかで吸収しないといけない。それにはやはり、より性能の高い制振ダンパーを実際に使えるようにしなければ・・・

NIMSは従来の研究計画を急きょ変更して、この「原子のつながりの切れない金属」=FMS合金を社会に使ってもらえるようにしよう、ということになりました。 しかし、コストや加工のしにくさの問題は依然としてある。それはマンガンの割合に原因がありました。

マンガンは多く含まれると加工しにくくなるため、普通、ビルなどに使われる部材はマンガンを1%くらいしか混ぜません。ところがNIMSのFMS合金はマンガンが28%も混ざっていました。加工しにくく、工場での量産ができないことが、値段が高くなる理由でした。

素材メーカーと相談を重ねた結果、「マンガンの割合が15%くらいであれば、何とかなるかもしれない」という意見が出ました。しかしそんな簡単な話ではありません。

マンガンをどうすれば少なくできるのか

マンガンを15%にするとしたら、その分耐久性は落ちる。別の元素を加えても性能を落とさないようにするしかない。しかし、どの元素を加えたらいいだろう。

元素は118もあります。
そのどれを使うのか、どの組み合わせ、どの割合、やり方はそれこそ星の数です。

ここでNIMSの、形状記憶合金の本質に迫る長年の研究が生かされました。これまでの研究で「なぜ原子のつながりがちぎれないのか」という仕組みを深く深く考えたことで、どの元素を加えれば、耐久性を落とさずマンガンを減らすことができるのか、を推理する基礎ができていました。
その予測をもとに、2012年4月に研究を開始。当初は元素の組み合わせと割合を3つのグループに分け、一段階ずつ結果をフィードバックして精度を上げていく計画でした。
すると、なんと最初のグループの中に素晴らしい結果を示す合金があったのです。新合金は従来のものと比べて10倍の疲労耐久性を持ち、マンガンも15%以下に減らすことができました。実用化へ大きく前進した瞬間です 。

名古屋のビルに採用決定!

制振ダンパー

その後、素材メーカーの尽力もあり、2012年9月にははやくも量産の試験にも成功しました。 この結果を知り、タッグを組んでいた竹中工務店から、「実は名古屋駅に大きなビルを建てるのだが、そこでこの新しい合金で作った制振ダンパーを使えないか」と相談がありました。そこで製造計画が始まり、さまざまな試験を経て、2013年11月には、国土交通省の認可が下りました。

そして2015年、このビルは完成しました。
実に驚くべきスピードです。

JPタワー名古屋という、地下3階、地上40階の建物で、その1階から4階までの間に、16の制振ダンパーが設置され、いざというときに、このビルを倒壊から守ります。

2018年には愛知県の国際展示場「Aichi Sky Expo」にも採用されています。ここにはNIMSが開発した新しい溶接技術を用いた新タイプの制振ダンパーが使われています。

制振ダンパー

Aichi Sky Expoに実装された制振ダンパー第2号機では、連続鋳造と溶接技術が新たに加わり、実装場所に応じた形状の制振ダンパーが製造できるようになった

地震のある国に求められる材料研究とは

採用されたのはどちらも愛知県。それは、いつきてもおかしくないといわれる「南海トラフ大地震」の発生が懸念される地域です。「もう大きな地震は起こらない」と考えるのではなく、大地震が発生する可能性を受け入れ、これに対処していくことが大切です。

震災から10年。
FMS合金を開発した研究者・澤口 孝広はこう話します。

「ご家族を亡くし、家を失い、今も苦しんでいる方々が沢山います。原発のデブリと汚染水に有効な解決策も見いだされていません。種々の課題に対してあまりに無力ながらも、研究者として、ただ自分の専門で役立てる防災の新技術に力を尽くしたい一念でやってきました。巨大地震や台風災害が発生する現実をただ恐れるのではなく、正しく受け止めて、被害を最小に止めるために努力することが大切です。FMS合金制振ダンパーをそのような技術の一つに育てることが生涯の目標です。」

長く培ってきた基礎研究、国研と企業の垣根を越えた信頼関係、そして2つの震災を経て実用化を目指した研究者と技術者の強い想い、そのすべてが結実した制振ダンパー。そこには、地震が頻発する日本でも人々に安全に暮らして欲しいという願いが込められているのです。

制振ダンパー

一度できたから終わり、ではない。より広く使われるために、制振ダンパーのさらなる進化を求めて、竹中工務店、淡路マテリア、NIMSそれぞれがお互いの技術と専門性を持ち寄り、3社一丸となって今なお研究を進めている

【関連リンク】

【FMS合金開発】澤口 孝宏(NIMS 構造材料研究拠点 振動制御材料グループ
【文】小森 岳史氏(編集:NIMS)
【写真】竹中工務店(提供)、石川 典人(撮影)