透過電子顕微鏡と電子エネルギー損失分光法による材料評価の最先端
          もくじ
1. はじめに
2. 高エネルギー分解能の計測
3. TEM-EELSによる元素および化学結合状態の分析
4. 元素マッピング
5. 結合状態マッピング
6. 位置分解EELSによる高精度な線分析
7. 非弾性散乱電子がつくる位相コントラスト
8. 参考文献
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2003.9.7 加筆
2003.5.31 加筆
2003.2.24

1. はじめに

 透過電子顕微鏡(Transmission Electron Microscopy, TEM)に電子エネルギー損失分光法(Electron Energy-Loss Spectroscopy:EELS)とを組み合わせたTEM-EELSでは,高い空間分解能で元素分析や化学結合状態の解析が可能です。近年ナノテクノロジー関連の物質研究が進むにつれて,TEMベースの分析手法はより重要性を増してきました。ナノメーター領域の構造を制御し,新たな物性や機能を発現させるためには,高空間分解能での評価が不可欠だからです。
 TEM-EELSは,従来はPEELS(Parallel-detection EEL Spectrometer)装置によるスペクトルの計測が一般的でしたが,最近ではそれに加え,エネルギーを選別してTEM像や回折図形を観察する手法,すなわちエネルギーフィルターTEM(EFTEM)法が使われるようになってきました。EFTEM法では,特定の元素で非弾性散乱した電子でTEM像を観察して元素マッピングができるなど,材料評価手法として大変有効です。
 われわれは,EELSやEFTEMを用いた元素および化学結合状態の解析手法の改良・開発や,先端材料への適用を行っています。これまで行ってきた研究結果の一例を以下に紹介しましょう。
[1.1] 木本浩司, "EFTEM法の特徴と最近の解析法", 電子顕微鏡, vol. 37, p. 13, (2002).
[1.2] 木本浩司, "TEM-EELSによる微小領域の分析", 日本結晶学会誌, vol. 44, p. 355, (2002).

[1.3] 木本浩司, "よくわかるエネルギーフィルターTEM", 電子顕微鏡, vol. 38, pp. 118-122, (2003).


2. 高エネルギー分解能計測

 エネルギー損失スペクトルから,高精度に元素や化学結合状態の分析を行うためには,高いエネルギー分解能が必要です。エネルギー分解能を決める要因は様々なものがありますが,主に,電子銃自体のエネルギー広がりと,エネルギーの不安定性によって決まっています。
 我々は,冷陰極電界放出型電子銃(cold-field emission gun: cold-FEG)を備えた電子顕微鏡を利用して,電子銃自体のエネルギー広がりを小さくすると共に,エネルギーの不安定性を補正するソフトウエアを開発し,高いエネルギー分解能で実験をしています[2.1]。ゼロロスのエネルギー広がりの半値幅として0.27 eVが得られています。このエネルギー分解能は,近年実用化されたTEM用のモノクロメーターのエネルギー分解能(例えば0.1eV~0.2eV)には劣りますが,十分な入射電流が得られるので実用上は非常に有効です。

 

 実際に計測したスペクトルは,理想的なスペクトルに,このゼロロススペクトルが装置関数としてコンボリューションされていると考えられます。コンボリューションされた装置関数は,データ処理(deconvolution)により,補正できます。我々は,Maximum entropy法あるいはRichardson-Lucy法により,ゼロロススペクトルのエネルギー広がりをdeconvolutionし,cold-FEGのさらに高エネルギー分解能化することを試みています[2.2]。例えば下図ではdeconvolution によって,窒化硼素のπ*ピークの半値幅は,0.52eVから0.35eVになっており,これは最新のモノクロメーターによる計測の値とほぼ一致します。このような高いエネルギー分解能でスペクトルが計測できますと,例えば金属元素の配位数や価数などがスペクトルから詳細に議論できるようになります。

[2.1] K. Kimoto and Y. Matsui, "Software techniques for EELS to realize about 0.3 eV energy resolution using 300 kV FEG-TEM", Journal of Microscopy, vol. 208, p. 224, (2002).
[2.2] 1 K. Kimoto, K. Ishizuka, T. Mizoguchi, I. Tanaka, and Y. Matsui, "The study of Al-L23 ELNES with resolution-enhancement software and first-principles calculation", Journal of Electron Microscopy, vol. 52, pp. 299-303, (2003).

3. TEM-EELSによる元素および化学結合状態の解析
 
 TEM-EELSでは,LiやBからCuなどの3d元素まで,多くの元素を検出できます。図3.1は酸化物高温超伝導体(Sr-1212)中に含まれる炭素や窒素を検出した例を示します。おのおの材料中には1~2%程度しか含まれませんが,スペクトルでその存在が確認できます。
 TEM-EELSのもう一つの利点は,化学結合状態が解析できることです。例えば図3.1の挿入図は炭素のK殻励起スペクトルを詳細に見たものですが,スペクトルの微細構造(Energy-Loss Near Edge Structure, ELNES)は,CaCO3と類似しており,非晶質炭素とは違っていることがわかります。すなわちこの場合,超伝導体中に含まれる炭素は,炭酸基CO3として含まれていることがわかります。スペクトルの微細構造は,第一原理計算によりシミュレーションし解釈することができます。図にはDV-Xα法を用いたシミュレーション結果を合わせて示してあります。この計算から,最初のピークはO-2pとC-2pの混成軌道への遷移であることなどが確認できます[3.1]。
 そのほかにも,最近の我々の研究例としては,超伝導体中のCr元素の価数と配位数の違いの検出[3.2]や,超高圧下で合成された新しい窒化珪素(spinel-Si3N4)中のSiの配位数の解析[3.3]などを進めています。
[3.1] K. Kimoto, Y. Anan, T. Asaka, N. D. Zhigadlo, E. Muromachi, and Y. Matsui, "Light element analysis in oxycarbonate superconductors using EELS", Journal of Electron Microscopy, vol. 50, p. 307, (2001).
[3.2] Y. Anan, T. Asaka, H. Kurami, J. Hatano, S. Tsutsumi, K. Kimoto, and Y. Matsui, "Study of superconducting and non-superconducting (Cu,Cr)-1212 compounds by high-resolution TEM and electron energy loss spectroscopy", Physica C, vol. 357-360, p. 371, (2001).
[ 3.3] I. Tanaka, T. Mizoguchi, T. Sekine, H. He, K. Kimoto, T. Kobayashi, S. Di Mo, and W. Y. Ching, "Electron energy loss near-edge structures of cubic Si3N4", Journal of Applied Physics, vol. 78, p. 2134, (2001).




4. 元素マッピング

 EFTEMのもっとも一般的で,かつ有効な利用法は,元素マッピングです。1点1点の分析ではなく一度に2次元マッピングできるので,例えば組成分離,粒界編析,析出物の同定などに極めて有効です。
 元素マッピングの例は非常にたくさんありますが,ここでは一例としてごく最近得られたセラミックスのマッピング例を紹介しましょう。この試料は超高圧下で合成された平均組成BC2Nを持つセラミックスです。結晶粒径は5nm程度と非常に小さいものです。これが果たしてBC2Nという均一の組成なのか,それともcubic-BNとダイヤモンドとに組成分離しているのかが重要です。元素マッピング像を図4.1に示します。B, C, Nの元素マッピングを詳細にみると,わずかに組成分離を起こしており,cubic-BNとダイヤモンドとに相分離をはじめていることがわかります。
 ここにあげた材料以外にも,金属多層膜[4.1][4.2],ステンレス鋼[4.2][4.5],CoCr合金(磁気記録媒体)[4.3][4.4],半導体用材料[4.6],など,数多くの報告例があります。詳細は下記文献をご覧ください。EFTEMは軽元素の観察に適していますが,半導体や金属にも有効です。
[4.1] K. Kimoto, T. Hirano, K. Usami, and H. Hoshiya, "High Spatial Resolution Elemental Mapping of Multilayers Using a Field Emission Transmission Electron Microscope Equipped with an Imaging Filter", Jpn. J. Appl. Phys., vol. 33, L1642, (1994).
[4.2] K. Kimoto, T. Hirano, and K. Usami, "Elemental Mapping Using a Field Emission Microscope with an Imaging Filter", Journal of Electron Microscopy, vol. 44, p. 86, (1995).
[4.3] K. Kimoto, Y. Yahisa, T. Hirano, K. Usami, and S. Narishige, "Observation of Compositional Separation in CoCrTa Thin Film Using Transmission Electron Microscope with Imaging Filter", Jpn. J. Appl. Phys., vol. 34, L352, (1995).
[4.4] K. Kimoto, Y. Hirayama, and M. Futamoto, "Compositional Separations in CoCrTa Perpendicular Magnetic Thin Films", Journal of Magnetism and Magnetic Materials, vol. 159, p. 401, (1996).
[4.5] K. Kimoto, "Quantitative Elemental Mapping of Stainless Steel Using an Imaging Filter", Journal of Electron Microscopy, vol. 45, p. 143, (1996).

[4.6]. Kimoto, K. Kobayashi, T. Aoyama, and Y. Mitsui, "Analyses of composition and chemical shift of Si oxynitride film using EF-TEM based spatially resolved EELS", Micron, vol. 30, 121, (1999).




5. 結合状態マッピング

 電子エネルギー損失分光法では,化学結合状態の変化も計測することができます。例えば,グラファイトとダイヤモンドはいずれも炭素からできていますが,結合状態が異なります。グラファイトはsp2結合,ダイヤモンドはsp3結合を持っています。EELSでは,前者のみπ*ピークを与えます。したがって,π*ピークで観察すれば,sp2結合している部分をマッピングできるわけです。
 図5.1に結合状態をマッピングした例を示します。試料はCVD法で作製したダイヤモンド粒子です。粒子自体は0.5μm程度の大きさですが,詳細に観察すると粒径数10nmの小さな粒子(サブグレイン)からできていることがわかります。試料全体からスペクトルを観察した結果,ダイヤモンド本来では観察されないπ*ピークが観察されたため,その原因を調べました。π*とσ*のマップから,粒子(サブグレイン)内部はダイヤモンドと同様sp3結合を持っていますが,サブグレインの表面や境界では,sp2結合をもっていることがわかりました[5.1]。
 結合状態のマッピングは元素マッピングよりもやや技術的に難しいので,まだあまり多くの応用例はありません。そのほかの応用例としては,Siの結合状態の変化を2次元マッピングした例などがあります[5.2]。
[5.1] K. Okada, K. Kimoto, S. Komatsu, and S. Matsumoto, "Sp2 bonding distributions in nanocrystalline diamond particles by electron energy loss spectroscopy", Journal of Applied Physics, vol. 93, pp. 3120-3122, (2003).
[5.2] K. Kimoto, T. Sekiguchi, and T. Aoyama, "Chemical Shift Mapping of Si L and K edges Using Spatially Resolved EELS and Energy-Filtering TEM", Journal of Electron Microscopy, vol. 46, pp. 369-374, (1997).



6. 位置分解EELS法による高精度な線分析

 実際に材料を評価する場合には,2次元分析(面分析)よりも1次元分析(線分析)が重要な場合があります。例えば積層膜の深さ方向の分析や,結晶粒界近傍の分析などは,必ずしも2次元情報は必要なく,むしろ詳細に線分析を行いたい場合が多いでしょう。その場合,エネルギーフィルターTEMを使い,位置分解EELS法という方法が適用できます。
 位置分解EELS法という名前はspatially-resolved EELSという単語を我々が和訳したものです。広く認められている手法ではありませんが,非常に有効です。この方法のアイデアは古く,1960年代ごろから利用されています。有名な研究例としては,渡辺らによるプラズモンの分散関係の実証があげられます。この方法では,エネルギーフィルターTEMをラインフォーカス条件にして,試料上の異なる位置のスペクトルを,スペクトル検出器(2次元)上の異なる位置に投影するようにします。線分析をする際に電子線を収束したり走査する必要が無いので,計測が簡単です。また同時に複数点のスペクトルが計測されるので,例えば0.5eV程度のケミカルシフトも計測することができます。詳細は,解説や応用例をご覧ください。
[6.1] K. Kimoto, K. Kobayashi, T. Aoyama, and Y. Mitsui, "Analyses of composition and chemical shift of Si oxynitride film using EF-TEM based spatially resolved EELS", Micron, vol. 30, pp. 121-127, (1999)..
[6.2] T. Sekiguchi, K. Kimoto, T. Aoyama, and Y. Mitsui, "Nitrogen Distribution and Chemical Bonding State Analysis in Oxynitride Film by Spatially Resolved Electron Energy Loss Spectroscopy (EELS)", Jpn. J. Appl. Phys., vol. 37, pp. L694-L696, (1998).
[6.3] K. Kimoto, T. Sekiguchi, and T. Aoyama, "Chemical Shift Mapping of Si L and K edges Using Spatially Resolved EELS and Energy-Filtering TEM", Journal of Electron Microscopy, vol. 46, pp. 369-374, (1997).



7. 非弾性散乱電子がつくる位相コントラスト

 非弾性散乱した電子も干渉縞や格子像などの位相コントラストを示します。例えば,エネルギー損失量が比較的小さいプラズモンロス電子でも,弾性散乱電子同様に格子縞が観察できます。また,内殻電子を励起するような原子位置に局在化した非弾性散乱過程も,原子位置に局在化しているわけではありません。これらの性質は,非弾性散乱過程の「非局在化」などと言われます。言い換えると,弾性散乱同様の空間可干渉性を有していることになります。
 非局在化した非弾性散乱電子による高分解能EFTEM像は,解釈に特に注意が必要です。たとえばプラズモンロス電子も弾性散乱同様に,格子像などに代表される干渉によるコントラストを示します。干渉による像では,結像条件(例えば対物レンズの焦点など)によってコントラストが反転します。したがって明るい点は必ずしも原子コラムには対応しません。縞が見えたからと言って,必ずしも原子列が分解されているわけではありません。
[7.1] 1 K. Kimoto and Y. Matsui, "The Fourier images feature of the lattice fringes formed by low-loss electrons as observed using spatially-resolved EELS technique", Journal of Electron Microscopy, vol. 50, pp. 377-382, (2001).
[7.2]1 K. Kimoto and Y. Matsui, "Experimental investigation of phase contrast formed by inelastically scattered electrons", Ultramicroscopy, vol. 96, pp. 335-342, (2003).


8. 参考文献

 我々の研究成果の紹介ばかりになってしまいましたので,代表的なTEM-EELSに関する教科書を下記に挙げておきます。すべて立派な教科書です(極個人的感想付)

R. F. Egerton, Electron Energy-Loss Spectroscopy in the Electron Microscope 2nd ed. (Plenum Press, New York, 1996). バイブルです。ある有名な先生も,この本はバイブルだと言っていました。
L. Reimer, Energy-Filtering Transmission Electron Microscopy. (Springer-Verlag, Berlin, 1995). この教科書が出版されて以降,EFTEMという略語が一般化したように思います。それまでEFTEMは,Electron Spectroscopic Imaging (ESI)や,Imaging EELS, あるいはImaging Filterなどとも呼ばれていました。In-column filterに関する記述が充実しています。
L. Reimer, Transmission Electron Microscopy 4th ed. (Springer-Verlag, Berlin, 1997). TEMに関するバイブルの一つだと思います。TEM-EELSに関することもかなり書いてあると思います。
D.B. Williams and C.B. Carter, Transmission Electron Microscopy. (Plenum Press, New York, 1996).  TEM一般に関するモダンな良い教科書だと思います。
Z. L. Wang, Elastic and Inelastic Scattering in Electron Diffraction and Imaging. (Plenum Press, New York, 1995). 式がいっぱい書いてあります。
M. Tanaka, M. Terauchi, K. Tsuda and K. Saitoh, Convergent-Beam Electron Diffraction IV (JEOL, Tokyo, 2002)  見ているだけでも楽しい本です。