「水の多形」(Polyamorphism in water)(和訳:抜粋)       三島修

<図及び文献は原文を参照してください>

  最も一般的で重要な液体である水には、4℃でその密度が最大になるという独特な性質がある。このような特性は、水分子間の結合のネットワーク構造が複雑に変化するために生じると考えられる。しかし未だに、我々は水を理解することができない。1984年の高密度非晶質氷(HDA)の発見と1985年の非晶質氷の不連続な体積変化の発見は、1成分の物質に異なる2種類の無秩序な構造が存在すること(多形:ポリアモルフィズム)を実験的に初めて示した。このことは水の見方を変え、「水は高圧低温下で2つの液体に分離する」という新しい考え方の基礎になった。水の特性は、2つの水の相分離点、すなわち液体−液体臨界点(LLCP)の存在によって説明され、この仮説を支持する証拠が現在集まってきている。本稿では、高密度非晶質氷の発見から液体−液体臨界点の探索までの筆者の実験研究の過程を、その背後の考えを付け加えて、解説する。

1. 始めに

  17世紀、ガリレオは氷を希薄な水とみなした。この考えは、フィレンツェの「アカデミア・デル・チメント」(実験協会)の実験家たちを刺激した。彼らは水を冷やしてその体積を測り、密度の最大(極大)を観察した。 その後の長い水の研究の歴史にもかかわらず、この特異なふるまいの明快な説明はなかった。(図1に4℃密度最大現象を表した例を示す。一般に物質は温度が下がるほどその体積は縮んでいくはずであるが、水の場合4℃以下では温度が下がるほど膨らんで軽くなる。コップの氷水では冷たい水が温かい水の上に浮かぶ現象が見られる。)一般に、気体や結晶と比較して、液体(特に水)の理解は進んでいない。
  水は0℃以下で氷の結晶(氷Ih)になるが、水を液体状態のまま過冷却することも可能である。水が理解できない主な理由は、マイナス38℃とマイナス123℃の間の温度域で過冷却された水がすぐに氷の結晶になるためである。この温度域は「ノー・マンズ・ランド」(不明瞭な中間地帯:NML)と名前がつけられ、この領域では水の実験ができない。4℃から温度が下がるにつれ水の体積は増加していき「ノー・マンズ・ランド」内のマイナス45℃で無限大に発散する傾向を示す。しかし、この「ノー・マンズ・ランド」で本当は何が起きているかを知ることができない。 
  マイナス123℃以下の温度では、低密度非晶質氷(LDA)の存在が1935年以来知られている。この氷は、水蒸気を低温の基板上に接触させることにより、あるいはミクロンサイズの細かな水滴を急速に冷やすことにより作られる。液体の水と同様に低密度非晶質氷の水分子は無秩序に配置している。しかし、低密度非晶質氷は固体であり、その密度は1立方センチメートル当たり約0.94gで、氷Ihの結晶とほぼ同じである。この低密度非晶質氷を「水が低温で粘くなりガラスのような状態になったもの」と考えてもよいが、このときの水と高温の水との関係は「ノー・マンズ・ランド」があるために不明であった。
  ちなみに、液体やガラスに見られる原子や分子の無秩序な配列は、圧力や温度が変わると連続的に変っていくものと当然のように考えられた。つまり、1成分のみでできた物質は1つの液相だけを持つと思われた。純粋な液体に異なる種類の無秩序構造があること(多形:ポリアモルフィズム)をはっきりと示す実験証拠がなかったことから、液体が不連続な体積変化を起こすとは考えられず、これが議論されることはほとんどなかった。 以下に述べるように、低温高圧における高密度非晶質氷の発見は、「ノー・マンズ・ランド」の液体の水について新奇で有望な考えを生む発端になった。

2. 圧力による非晶質化:高密度非晶質氷の発見

  氷(氷Ih)が水に融ける温度は高圧下で低くなることをタンマンが1900年に報告して以来、結晶の融解現象の圧力効果は、高圧下で物質の性質を調べる研究者の興味を引いた。図3aに示すように、大阪大学の川井直人は、結晶が別の結晶構造に変わらなければ、その結晶が融ける圧力と温度の線(融解曲線)は絶対0度付近まで続くと考えた。川井の学生であった私はその考え方に興味を持った。後におこなった氷Ihの圧縮実験で、図3bの線Aで示すように、氷Ihが他の高圧氷へ転移する圧力が低温になるほど高くなることを観測した。そして私は、温度が十分に低ければ、低温で予想される融解曲線(図3bのB)まで、氷Ihを圧縮できるかもしれないと気づいた。通常、結晶は融解曲線上で簡単に融ける。融解の定義は漠然としていて、かつては結晶構造自身の不安定化だと考えられていた。従って、たとえ低温でも、氷Ihの結晶はその融解圧力まで圧縮されると不安定になり何らかの変化をすると想像された。この考えが、「液体窒素温度で氷Ihを圧縮してみよう」という私の動機に徐々になっていった。
  博士研究員として2〜3年間滞在したオタワのカナダ国立研究所で、ウォーリは氷Ihの低温融解という私の考えに興味を抱いた。そこでウォーリと私は、液体の水が低温で粘性が増して固くなる温度(いわゆるガラス転移温度:Tg)よりさらに低い温度で氷(氷Ih)を圧縮すれば、氷はガラスのような非常に粘い水(固まった水)に『融ける』かもしれないと話し合った。これを確かめるために、私はピストン・シリンダー式の高圧装置を用いて氷Ihを液体窒素温度の77K(77ケルビン=マイナス196℃)で圧縮した。すると、約1万気圧(1ギガパスカル)で氷Ihの体積が急速に20%以上小さくなった。77Kの温度に保ちながら圧力を抜いて1気圧に戻すと、試料は高密度状態のまま高圧容器から取り出せた。その密度は1立方センチメートル当たり約1.17gであった。カルバートがこの高密度の固体試料のX線測定を低温下で行ったところ、ぼやけたハローパターンのX線像を示した。これは水分子の配列が、見たところ無秩序であることを表していた。さらに、このハローパターンは液体の水のX線像に似ていた。つまり、「氷の結晶を圧縮するとガラスのような粘い水に『融ける』」という予想と合っていた。この高密度非晶質氷が比較的簡単に再現良く作られることから、その存在は確実なものになった。この高密度非晶質氷の発見は物質のガラス状態を作り出す新しい手法の発見と言うこともでき、これから圧力で結晶を非晶質化するという研究分野が生まれた。圧力融解が起きる理由について、川井は松原武生の考え方を論文(参考文献10)で紹介している。この松原の考え方をもとに、私は図5aに示すような仮想的な氷と水のエネルギー面を想像した。私は、狭いくぼみに閉じ込められた氷Ihの結晶状態に圧力をかけると無秩序な構造に移っていくこと、そしてその変化はエネルギー面の凹凸と低温のためにすぐに止まることを想像した。私は、高密度非晶質氷(HDA)は不安定であり、高圧の高密度の水の構造に向かってゆっくりと変化していくと予想した。

3.低密度非晶質氷と高密度非晶質氷の間の転移:非晶質構造の多形の発見

  1気圧で高密度の非晶質氷(HDA)を温めると、その構造はゆっくりと変化していき、体積は徐々に大きくなっていった。そして不思議にも、120K付近で体積が20%ほど一気に増加して低密度非晶質氷(LDA)に変わった。さらに温めると、低密度非晶質氷は150K付近で氷Icの結晶になり、氷Icはさらに高温で氷Ihの結晶に変わった。高密度非晶質氷をいろいろな圧力で77Kより温めていくと、圧力が低いところではその体積はゆっくりと増加した。この体積増加の傾向は高圧になるほど徐々に小さくなり、十分に高い圧力で高密度非晶質氷を温めると、その体積は徐々に減るだろうと予想された。圧力をかけながら高密度非晶質氷を更に温めていくと、いろいろな高圧結晶氷に変化した。厳密に言えば、高密度非晶質氷のハローパターンのX線像は、この高密度非晶質氷の構造が本当に無秩序であるか、あるいは非常に細かな微結晶であるかのどちらかを示していた。しかし、高密度非晶質氷の一様でゆっくりとした体積変化と、様々な高圧氷へと結晶化することから、私は高密度非晶質氷の構造は本当の無秩序であると考えた。
  この実験で、高密度非晶質氷から低密度非晶質氷への転移温度は、圧力で大きく違うことがわかった。すなわち、圧力が下がると、転移温度も下がった。図6で示すように、このことから私は77Kで高密度非晶質氷を減圧するとマイナスの圧力で低密度非晶質氷に一気に変化するだろうと考えた。さらに、77Kでの圧縮で作られた高密度非晶質氷の構造が無秩序であることを考えれば、77Kの減圧で作られた低密度非晶質氷の構造も無秩序だろうと類推した。さらに反対に考えて、低密度非晶質氷を圧縮するとある圧力で高密度非晶質氷に一気に変化するかもしれないと想像した。この変化は、低密度非晶質氷の構造が氷Ihの結晶構造に幾分似ていたことからも予想された。つまり、氷Ihが圧縮で一気に高密度非晶質氷に変化したことと同じことが低密度非晶質氷の圧縮で起きると予想した。図5bで私は低密度非晶質氷の窪みを想像し、圧縮によってこの低密度の窪みから高密度非晶質構造に状態が移っていくと考えた。もしそうであれば、全く異なる無秩序構造を持った2つの相が存在することになる。そしてそれら2つの間の変化は不連続的に、つまり1次の相転移として起きることになる。無秩序構造をした2つの相が存在する可能性を調べてみたいという気持ちが、低温で低密度非晶質氷を圧縮する実験の動機になった。
  1984年7月に私は77Kで低密度非晶質氷を圧縮し、その体積が約6千気圧(0.6メガパスカル)で突然、一気に、そして、不連続的に約20%小さくなるのを観測した。一般にガラスに圧力をかけると、その体積は徐々に小さくなることは知られていたが、非晶質氷の体積が一気に減少したことは、ガラスの一般的な変化とは際立って違っていた。約6千気圧の転移圧力は氷Ihのアモルファス化の転移圧力(約1万気圧)よりもかなり低い。これは低密度非晶質氷の構造が本当に無秩序になっていることをほのめかしていた。そして、転移前の低密度非晶質氷と転移後の高密度非晶質氷を回収して行ったX線測定により、それらの氷が見たところは無秩序構造をしていることが確かめられた。この低密度非晶質氷と高密度非晶質氷の間の変化は無秩序構造に多形のあること(ポリアモルフィズム)をはっきりと示した最初の実験例であった。ウォーリはこの重要性にすぐに気付き、そして、我々はこのことを論文(参考文献15)で発表した。

4.水の液体−液体転移と液体−液体臨界点

  低密度非晶質氷と高密度非晶質氷の間の不連続な変化は、図5bの「二つの窪み」の考え方が正しいことをほのめかしている。したがって、これらの非晶質氷を温めると、ガラス転移温度(Tg)より高い温度で軟らかくなって低密度水(LDL)と高密度水(HDL)になると思われた。さらに、低密度水と高密度水の間の不連続な液体−液体転移(LLT)とこの転移が観測されなくなる点、すなわち液体−液体臨界点(LLCP)の存在が必然的に想像された。この臨界点よりも高い温度では水の構造は連続的に変わっていき、一方、臨界点より低い温度では、低密度水の加圧や高密度水の減圧で1次の相転移に伴うヒステリシス現象が起きると想像された。ヒステリシスは低温ほど大きくなる。これらの考えは単なる憶測にしか過ぎなかったが、1992年にプールらは過冷却水の分子動力学シミュレーションによって、そして、低密度非晶質氷−高密度非晶質氷の間の不連続な転移を考慮して、水の液体−液体臨界点仮説を具体的に提案した。「非晶質氷の多形」という我々の実験事実とプールらの理論予測から、私の興味は水の液体−液体臨界点を実験で見つけることへ移って行った。

4.1.実験上の問題

  液体−液体臨界点仮説の実験的な証明は困難であった。その理由は「ノー・マンズ・ランド」ですぐに結晶ができるためと、非晶質氷は固く熱力学的な平衡状態ではないためである。平衡状態である液体なら、圧力と温度が決まるとその状態は一意的に決まる。したがって、2つの異なる液体間の変化が不連続であることは証明できる。しかし液体の水では、低密度水と高密度水は「ノー・マンズ・ランド」での結晶化のため、液体−液体転移を直接観察することはできない。一方、低密度非晶質氷−高密度非晶質氷の間の変化は観察できるが、これらの非晶質氷が非平衡状態であることが変化の不連続性に対して論理的な疑問を投げかけた。つまり、図5bのエネルギーの山が本当に存在するのかどうかが疑われた。低密度非晶質氷と高密度非晶質氷の間のエネルギー面は平らかもしれない。低密度非晶質氷から高密度非晶質氷への変化(図7)は不連続に見えても仔細にみれば連続しているのかもしれないし、また、本来はゆっくりと連続的に起きるはずの低密度非晶質氷の変化が、非平衡状態が続いた後に何らかの理由でギクシャクとした急な変化になったのかもしれない。もしそうであれば、水の液体−液体転移は連続的であり、液体−液体臨界点も存在しないことになる。
  また、高密度非晶質氷の分析が不十分であったため、この高密度非晶質氷は微結晶であるとか、液体の水と違った構造をしていて液体とは無関係だとする見方があった。 私は、つくばにある無機材質研究所(現在の物質・材料研究機構)で低密度非晶質氷と高密度非晶質氷の間の変化の不連続性、および、高密度非晶質氷と液体の水の関係を調べる研究を始めた。

4.1.1.低密度非晶質氷と高密度非晶質氷の間の変化の不連続性 (略)
4.1.2.高密度非晶質氷と液体の水の連続性 (略)
4.1.3.問題に対する私見 (略)
4.2.液体−液体転移(LLT)の位置 (略)
4.3.液体−液体臨界点(LLCP)の位置 (略)


5.結論

  水と非晶質氷についての我々の主要な結果を次に列挙する。図12bと12cも参照されたい。
  1. 高密度非晶質氷(HDA)の発見:結晶の圧縮による非晶質化。
  2. 低密度非晶質氷(LDA)と高密度非晶質氷(HDA)の間の不連続に見える転移の発見:無秩序構造の多形(ポリアモルフィズム)。
  3. 高密度非晶質氷と液体の水の連続性に矛盾しない実験結果。
  4. 液体−液体転移(LLT)に矛盾しない実験結果。
  5. 液体−液体臨界点(LLCP)に矛盾しない実験結果。
  非晶質氷の多形(ポリアモルフィズ)の発見は、霧が晴れるように、徐々に、そして、着実に他の研究者に理解されていった。さらに、この多形の存在は液体−液体臨界点仮説の基礎となった。この25年間に得られた各種の証拠は液体−液体臨界点仮説を強く支持するが、証明するまでには至っていない。もし液体−液体臨界点があれば、それは広い圧力・温度領域の水に影響を及ぼすだろう。図12で示されるように、1気圧4℃で水の体積が最小になる現象(密度最大の現象)は高密度水から低温の低密度水への変化で説明することができる。
  他の研究グループの結果も考えれば、少なくとも、以下の合意が水の研究者の間で出来てきたように思われる。実験面では、低密度−高密度の非晶質氷の転移はおそらく不連続的に起きる。また、高密度非晶質氷の構造は液体の水の構造に似ている。理論面では、シミュレーションのほとんどすべての研究は液体−液体臨界点仮説を支持している。 シミュレーションでは「ノー・マンズ・ランド」での水の結晶化がほとんど起きないし、また、液体の水の構造も予言できる。さらに、ポリアモルフィズムは2つのモデル粒子間の『波のような』ポテンシャルに起因することが分かってきた。非晶質氷の核形成と成長など、多くの未解決問題はあるが、今のところ液体−液体臨界点仮説に致命的な矛盾はない。

6.影響

  ポリアモルフィズムは、凝縮系物質の基本概念の1つである。非晶質氷の多形は一般的な無秩序構造間の転移の研究を促し、そしてこれらの研究は液体・ガラスの研究分野で広い展望を開くことになった。
  言うまでもなく、水はいろいろな研究分野に関連する。溶質や電磁波が水の多形に与える影響がわかれば、それは光合成などの理解に役立つかも知れない。
  2種類の水があるという考え方は、水溶液、狭い空間にある水、また、タンパク質内部の水の実験研究に応用された。これらの水では「ノー・マンズ・ランド」でも氷の結晶にならない場合があり、研究は液体−液体臨界点仮説の妥当性を調べるためにも利用された。そして、この仮説は支持されている。
  およそ40年前、「薄い塩水は低温での2つの液体に分離する」という考えが提案された。我々は塩化リチウム水溶液が2つに分離する証拠を示し、水の多形でこの現象を説明した。その結果、「塩化リチウムの塩は低密度水より高密度水によく溶ける」と考えられた。分離して生じる低密度水は氷の結晶になりやすいので、このような研究は、雲や植物の中で水溶液から氷の結晶核が発生する現象にも関係している。
  一般に水と言えば液体を表す。したがって、水の理解とは液体の理解と言えよう。水の多形という考え方は確かにこれまでの水の理解を質的に変えた。「アカデミア・デル・チメント」での実験以来およそ350年が過ぎた。水の密度最大という現象の背後にある秘密、すなわち「2種類の水が存在すること」が、現在少しずつ明らかになってきている。

<注:原文の直訳ではありません。>