特集“ナノ物質・材料”その1

ナノテクノロジー研究が目指すもの
高度情報化社会・持続可能な社会の実現を目指して

ナノマテリアル研究所長
吉原 一紘



 平成13年度からの科学技術基本計画において、ナノテクノロジーは、(i)次世代情報通信を先導する技術、(ii)革新的エネルギーを創出する技術として極めて重要であると認識されています。また、優れたナノテクノロジーの構築は、我が国の国際経済競争力の源泉ともなります。ナノテクノロジーの重要性は、今や世界共通の認識となっていると言っても過言ではありません。
 1980年代前半の走査トンネル顕微鏡(STM)の発明が、材料分野の中の「ナノ領域」に光を当てたことに象徴されるように、この10年余りの間で、原子・分子の物理・化学的な研究、または原子レベルで構造を制御した物質・材料の研究が多く行われてきました。それ以前にも量子力学の材料科学への適用により、ナノ領域において量子サイズ効果等が顕著になることは予想されていましたが、原子・分子レベルで人工的・能動的に材料操作を行い得るようになったことが、研究開発手法に対し飛躍的発展をもたらしました。
 このような技術的背景の基に、今日、ナノテクノロジーの推進が謳われるようになりました。ナノテクノロジーとは、特性を決定する構造の少なくとも一つが、ナノメー
ター(1nm〜100nm)で定義できる大きさを持った物質を創製すること、及びそれらの物質を組み合わせてシステムを創製する技術です。ナノメーターサイズの構造を持った物質やシステムには新たな特性が現れることが期待されています。たとえば、超高速・大容量の情報伝達や情報処理が可能となりますし、物質の融点、磁性、誘電率など、従来本質的だと思われていた物性を制御することもできるようになるでしょう。例として、物質・材料研究機構で作製した電子一個の通過を検知するトランジスターの走査トンネル顕微鏡写真を図1に示します。中央には数ナノメーターの直径の粒子(量子ドット)が置かれており、ドットと周囲の電極との間は原子数個の径の細線で接続されています。 このトランジスターにより、超高速の計算が可能となります。また、細胞内の組織を制御することで、細胞の自己組織化能力を利用して新しい物質を作ることも可能です。さらに分子レベルのごく小さい構造を作り込むことによって、ナノメータースケールの機械を作り、それに人体の細胞の修復作業をさせることができるなど様々な未来が開けると期待されています。
物質・材料研究機構では、このようなナノテクノロジーの基本となる構成部品(ナノマテリアル)を開発することを目指しています。ナノマテリアルはナノメーター単位で構造を制御された物質です。ナノメーターの単位で物質の構造を制御するためには、原子を一個ずつ操作したり、分子ビームを材料に照射したりして作製します。また、特別な化学反応を使って、細いチューブを作ったり、微粒子を作製したりします。さらに、電子線やX線を用いて、材料の表面にナノ
メーター単位の構造を作ります。なお、最近着目されている作製方法の一つに、物質の持つ独自の物性を利用して、ナノメーター単位の構造を材料の中で自己組織化させる方法があります。この方法を用いると、細かい構造を一つ一つ作る必要がなく、ナノメーター単位で構造を制御した物質を自動的に作ることができます。
 物質・材料研究機構のナノマテリアル研究所には4つの研究グループがあり、ここで、ナノマテリアルに関する研究を集中的に実施しています(図2)。ナノ物性研究グループは量子コンピューターの基盤技術の開発や、ナノ構造に起因する新しい量子効果を発見する事を目指しています。ナノデバイス研究グループは次世代の情報技術の基本となる新しいデバイスの開発を目的として、論理演算素子、波長変換素子、光スイッチ、電子波素子、高周波発振素子などの材料開発を目指しています。ナノファブリケーション研究グループではナノ構造の創製技術や構造解析技術を高度化することにより、磁性材料や電子・光変換材料などの開発を目指しています。ナノシンセシス研究グループではナノ構造を持つ新しい物質を合成して、その構造解析や物性評価を行います。
 物質・材料科学技術は、情報通信、環境、ライフサイエンス、エネルギー等我々の生活に関わる広範な分野の開拓の礎となった基礎的基盤的科学技術であり、物質・材料科学技術の継続的な発展なしには、豊かな人類社会を構築していくことはできません。物質・材料研究機構では、ナノテクノロジーを確立することにより、高度情報化社会や持続可能な社会の実現を目指していきます。
 20世紀は量子力学に代表される「物質の本質を観察し、解析する科学」が著しく発展しましたが、21世紀はそれを基礎として「原子スケールで物質を操る技術」が発展する世紀となるでしょう。我々はようやくその入り口に到達し、「観察することは創造することである」をこれから実践し、希望の物性を持つ物質をデザインして、原子・分子レベルで組み立てることができる時代に入ろうとしています。

図1 物質・材料研究機構で作製した単一電子トランジスターのSTM像.大きな島状の物体は銀の電極.電極間の中央に量子ドットがあり、電極と量子ドットは金のナノ細線で結線されています.


図2 ナノマテリアル研究所の研究体制





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