透過型電子顕微鏡のEDS分析のエネルギー分解能を一桁向上

- 新開発の分光装置により、ナノ組織の超高精度分析を実現 -


 

概要

1.マイクロカロリメータ1)型X線検出器を透過型電子顕微鏡2)に搭載した分析装置の開発に成功し、従来のエネルギー分散型X線分光より一桁以上高いエネルギー分解能でのX線分光3)スペクトルの取得に成功しました。 今後はナノスケールでの高精度組成分析の実現を目指します。

2.分析機能を付与した透過型電子顕微鏡は、高い空間分解能で極微細組織解析を行えることから、幅広い研究分野で基盤的なツールとなっています。X線分析はその組成分析に広く用いられていますが、従来の 半導体検出器4)はエネルギー分解能が130-140eVと低いため5)、近接するX線ピークが分離できませんでした。材料やデバイスの構造や組織の微細化が進み、透過型電子顕微鏡を用いた組成分析精度の向上が 強く求められており、その実現にはエネルギー分解能を飛躍的に向上させることが緊要の課題となっていました。

3.本研究では、従来型とは異なる検出原理に基づくX線検出器である「超伝導遷移端センサ6)」を透過型電子顕微鏡に応用することによって、7.8eVという高いエネルギー分解能を達成した。それにより、これまで分離不可能 だった多くの多重ピークを分離し、ほぼ全元素からのピークを分離した高精度組成分析を可能になり、同時に、微量元素の検出能力も大幅に向上することが期待されます。

4.ナノテクノロジー・材料やバイオテクノロジー等の幅広い研究分野で基盤技術として用いられる透過型電子顕微鏡における組成分析精度が大幅に向上することは、それらの研究分野の進展に大きな波及効果をおよぼすと 考えています。

5.本成果は、文部科学省リーディングプロジェクト「次世代の電子顕微鏡要素技術開発」(主査 志水隆一 国際高等研究所上級研究員)における研究課題「TEM用マイクロカロリメータ型X線検出システムの開発(平成18年度 –20年度、研究代表者 原 徹)」によって進められ、今回の成果を達成しました。この研究はエスアイアイ・ナノテクノロジー株式会社、国立大学法人九州大学、独立行政法人宇宙航空研究開発機構、日本電子株式会社との共 同研究として実施したものです。

 


 

研究の背景

 サブナノメートルスケールの高い空間分解能での直接観察が可能な透過型電子顕微鏡(TEM)は、分析機能を付加した総合的なナノ組織解析ツールとして、ナノテクノロジー・材料やバイオテクノロジーなどの幅広い分野に欠か せない基盤的研究ツールとなっています。組成分析の目的では、一般にエネルギー分散型X線分光分析(EDS)の手法が用いられていますが、従来の半導体検出器(SSD)を用いたEDS分析では、検出器のエネルギー分解能が低 く(130-140eV)、異なる元素からの近接したX線ピークが重なってしまうことが高精度分析の最大の阻害要因となっていました。特にナノテクノロジー・材料分野では、近年組織や構造の極微細化が進んでいることから、透過型電子 顕微鏡での組成分析の重要性が増しており、その精度の向上が強く求められていました。X線分光を用いた組成分析の高度精度化のためには、検出器そのもののエネルギー分解能を飛躍的に向上させることが必須の課題とな っている。
本研究では、高いエネルギー分解能を持つX線分光器として、マイクロカロリメータを応用しました。この検出器は、放射線検出器として研究が進められているものであり、JAXAが開発中のX線天文衛星「Astro-H」http://astro.isas.jaxa.jp/)や将来のX線宇宙観測に向けて開発中のX線マイクロカロリメータ検出器技術 (http://www.astro.isas.jaxa.jp/~tes) の地上応用という側面もあります。マイクロカロリメータの分析装置への応用としては、走査型電子 顕微鏡(SEM)に取り付けた例が既にあります。1995年にNIST(米)が初めてSEMに搭載した他、日本ではエスアイアイ・ナノテクノロジー株式会社が開発を進めています。

 

研究成果の内容

 本開発研究では、従来の半導体検出器とは異なる原理によるX線検出方法である「超伝導遷移端センサ(TES)」を利用した 「マイクロカロリメータ」と呼ばれる検出器をTEMに搭載しました。TEMに搭載する場合は、試料室近傍の空間的自由度が非常 に小さいこと、磁場環境が過酷なこと、音や振動の影響を受けやすいことなど、SEMとは異なる多くの技術開発要素があります。
今回は、文部科学省のリーディングプロジェクト「次世代の電子顕微鏡要素技術開発」として、NIMSが代表機関となり、研究分 野が異なる研究者の共同体としてチームを形成して技術開発を行いました。現在、開発した装置により、TEMのEDS分析として は世界最高である7.8eVという従来比一桁以上高いエネルギー分解能を達成しました。
TES型検出器は、動作温度が低いほどエネルギー分解能が向上するので、100ミリケルビン(mK)以下の極低温で動作させる必 要があります。そのため、センサ素子などの検出器系システム開発の他に、TEMに搭載できる冷凍機の開発、検出器や冷凍機 とEMとの整合性の確保なども技術開発の重要な要素でした。冷凍機については、大陽日酸株式会社の協力のもとで、液体ヘ リウムを用いない無冷媒式で、かつTEMに搭載可能なものを新たに製作しました。
写真1に開発したTESマイクロカロリメータEDS-TEMの外観写真を示します。TEM、冷凍機(希釈冷凍機と機械式冷凍機)とその 防音ボックス、補記類を収容する防音室(写真外)から成っています。冷凍機からの音や振動がTEMに伝わりにくい構造に成っ ており、また、試料と検出器との位置関係や相互作用などについても十分に考慮した構造となっています。

 図1は、新規に開発した装置によって取得したシリコンの特性X線のピークプロファイル(実線)を、従来の半導体検出器(SSD) で取得したもの(破線)と比較したものです。エネルギー分解能を示すピークの半値幅(FWHM)は、TESでは7.8eVを達成しており、SDの117eVと比較すると一桁向上しています。マイクロカロリメータのデータでは、検出器のエネルギー分解能が高いため、SSDでは分離できないKβ線のみならずKα3,4サテライトピークも測定できていることがわかります。
このように、検出器のエネルギー分解能が劇的に向上したことによって、従来型検出器(SSD)では分離不可能だった多重ピーク を分離した測定が可能になります。そのことを示す例として、図2にチタン酸バリウム(BaTiO3)から取得したスペクトルを示します。従来型検出器(図中SSD:破線)での測定では、チタン(Ti)とバリウム(Ba)の特性X線ピークが重なるので、それらの微小な濃度揺 らぎの検出が不可能ですが、新規開発装置(図中TESマイクロカロリメータ:実線)ではそれぞれを独立したピークとして観察でき、より高精度な組成分析を行うことができます。また、別の例として半導体デバイスから取得したスペクトルを図3に示します。これ まで不可能であったSiとWの分離が完全に実現できています。さらに、これらのマイクロカロリメータで取得したスペクトルでは、 バックグラウンドに対するピーク高さの比(P/B)がSSDと較べて向上するため、ピーク高さに対する相対的なバックグラウンドの値が減少し、実質的に微量元素の検出能力の大幅な向上が期待できます。

fig5

写真1. 透過型電子顕微鏡–マイクロカロリメータEDS分析装置の外観

(a) 透過型電子顕微鏡
(b) TES型マイクロカロリメータ検出器(内部)
(c) 希釈冷凍機
(d) 機械式冷凍機とその防音ボックス
(e) 半導体検出器によるEDS分析装置

検出器(b)は、希釈冷凍機(c)によって70mKまで常時冷却されて動作している。
なお、写真外に補機類を収める防音室および制御卓がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

波及効果と今後の展開

今回の成果は、ナノテクノロジー・材料分野やバイオテクノロジーなどの幅広い研究分野で基盤技術として用いられるTEMの分析精度を大幅に向上させ得る技術と言えます。例えば、複雑な組織・組成を持っている鉄鋼などの実用材料では、微量添加元素の存在位置を特定することは機能発現メカニズム解明に繋がる情報が得られ、また、半導体材料においては、シリコン・タングステン・タンタルを分離した測定が可能になれば、正確な構造評価が可能となります。さらに、未知試料の含有元素の判定の信頼性も大幅に向上することから、バイオテクノロジーなども含む、TEMを利用する全ての研究分野に対して大きな波及効果を及ぼすことが期待されます。
今回開発した分析装置は、現在は動作実証が確認された段階であり、今後は実用的に利用できることを念頭に開発を継続しています。つまり、計数率や検出効率などの測定効率に関わることや、信頼性や操作性に関わる部分の開発や改良に重点を置き、分析手法などのソフトウェア開発も含めて高精度分析の実現を目指しています

 

 

【用語解説】

1)マイクロカロリメータ(micro-calorimeter)
入射したX線フォトンのエネルギーを熱量に換算してX線を検出しエネルギーを測定する検出器をマイクロカロリメータと呼ぶ。検出器の温度計として超伝導体の超伝導遷移端を用いるものを超伝導遷移端センサ型マイクロカロリメー 
タと言う。その他に、半導体温度計を用いるものなどがある。

2)透過型電子顕微鏡 (Transmission Electron Microscope, TEM)
物質に電子線を照射し、透過した電子で結像するタイプの電子顕微鏡。走査型電子顕微鏡(SEM)は物質表面の情報が得られるのに対して、透過型電子顕微鏡は物質内部の微細構造や原子配列などの直接観察が可能である。

3)エネルギー分散型X線分光 (Energy Dispersive X-ray Spectroscopy, EDS)
物質から放出されたX線を分光することによって組成などの元素の情報を得る手法。電子顕微鏡の場合は、電子線が試料に照射されることによってX線が放出する。放出されたX線のエネルギーを分析することによって、電子線照射 
領域の組成が解析できる。X線分析の方法には、EDSの他、波長分散型X線分光(WDS)があるが、組成分析には通常EDSが用いられる。TEMでのWDSは、エネルギー分解能は高い(10eV程度)が、検出エネルギー幅が限られること、 
検出効率が低いことなどの理由で、組成分析ではなく電子状態分析に使われることがある。

4)半導体検出器 (Solid-State Detector, SSD)
市販されているEDS検出器は、ほとんどがリチウムドープシリコン結晶を用いた半導体検出器と呼ばれるタイプのものである。検出器中に入射したX線によってエレクトロン−ホールペアが生成し、その数でX線のエネルギーを分析する。
しかし、生成するペアの数に原理的にばらつきが生じるためエネルギー分解能が向上しない。この検出器によるエネルギー分解能の限界は100eV程度と言われている。なお、現在市販されているSSDのエネルギー分解能は130- 140eV(at Mn Ka)である。このエネルギー分解能では、補足で前掲したように分離できない元素の組が多く存在する。

5)EDSのエネルギー分解能
EDSのエネルギー分解能の定義は、マンガン(Mn)のKa線(5490eV)のピークの半値幅と決められている。しかし、今回開発した装置ではエネルギー分解能が高く、従来問題とはならなかったKa1線とKa2線の差が現れてきて検出器本来 の分解能が直接的に測定できない。そこで本稿では、独立したピークの半値幅から最小自乗法によって構成するピークの半値幅を求めてエネルギー分解能と呼んでいる。例えば図1のシリコンのピークでは、Ka1とKa2の差は1eVであ り、分解能はそれを考慮して求めてある。

6)超伝導遷移端センサ (Transition Edge Sensor, TES)
超伝導体をマイクロカロリメータの温度計として用いるもので、センサは転移点Tc近傍の温度に保持してある。この検出器にX線フォトンが入射すると、素子の温度が若干上昇する。センサは微小な温度変化に対して大きな抵抗変化 
を生じるので、それを検出して増幅する。検出器に入射したX線のエネルギーは素子の温度変化幅として測定する。動作温度が低いほどエネルギー分解能が向上するので、100mK(ミリケルビン)程度またはそれ以下の温度で動作させ
る。

 

図1. シリコンからのEDSスペクトル

 実線が新規開発のマイクロカロリメータ-EDSで測定したピークプロファイル。破線は従来型半導体検出器で測定したもので、ピーク半値幅は117eV。
マイクロカロリメータではエネルギー分解能が大幅に向上しており、それに伴いシリコンのKb線や、Ka3,4線が現れている。縦軸スケールのTES-SSD比は任意。

 

 

図2.チタン酸バリウムからのEDSスペクトル

 実線が新規開発のマイクロカロリメータ型EDSで測定したスペクトルであり、破線は従来型の半導体検出器(SSD)で測定したもの。
SSDでは重なって分解できなかったチタン(Ti)のK線とバリウム(Ba)のL線がマイクロカロリメータでは明瞭に識別できる。縦軸スケールのTES-SSD比は任意。

 

 

 

図3.半導体材料中のシリコン(Si)とタングステン(W)のEDSスペクトル

 実線が新規開発のマイクロカロリメータ型EDSで測定したスペクトルであり、破線は従来型の半導体検出器(SSD)で測定したもの。
SSDでは重なって分解できなかったシリコン(Si)のK線とタングステン(W)のM線がマイクロカロリメータでは明瞭に識別できる。縦軸スケールのTES-SSD比は任意。

 

 

 

【 補足資料 】

 

[1] 新規に製作した冷凍機

今回開発した冷凍機は、TESを動作させるために十分な極低温が達成できること、TEMに搭載可能な形状・重量であること、TEMの性能に影響を与えないこと、長時間連続測定が可能なことを条件とした。TESを動作させる100mK(ミリケルビ ン)以下まで冷却する方法はいくつかあるが、冷却能力の観点から希釈冷凍機を採用した。さらに、長時間安定した連続測定を可能とするために、液体ヘリウムを用いない無冷媒型冷凍機の使用を試みた。すなわち、希釈冷凍機の前段の冷却装置として、液体ヘリウムの代わりに機械式冷凍機を用いている。通常、機械式冷凍機を前段とする希釈冷凍機 では、それらの二つの冷凍機を直結して用いるが、それだと重量が嵩むこと、および機械式冷凍機が発生する音と振動 がTEM像に影響を与えるという問題が生じる。今回は、機械式冷凍機と希釈冷凍機を分離することと、冷凍機の振動がTEMに伝播しないような構成を工夫することなどにより、それらの問題を解決し、TEMに冷凍機を搭載することを実現し た。これまでTEMでの冷凍機の使用は困難だと考えられていたが、今回開発した冷凍機によって、振動に敏感な分析装置にも冷凍機を応用できることが実証できた。

 

 

 

[2] 半導体検出器(SSD)では分離できないピークの組

 例えば次のピークの組は、エネルギー分解能130eV程度のSSDでは分離できないが、エネルギー分解能が10eVだと全て分離して観察できる。

ピーク1(エネルギー,eV)

ピーク2(エネルギー,eV)

X線のエネルギーの差,eV

チタン(Ti) Kb1 (4932)

バナジウム(V) Ka1 (4952)

20

バナジウム(V) Kb1 (5427)

クロム(Cr) Ka1 (5415)

12

クロム(Cr) Kb1 (5947)

マンガン(Mn) Ka1 (5899)

48

マンガン(Mn) Kb1 (6490)

鉄(Fe) Ka1 (6404)

86

鉄(Fe) Kb1 (7058)

コバルト(Co) Ka1 (6930)

128

硫黄(S) Ka1 (2308)

モリブデン(Mo) La1 (2293)

15

硫黄(S) Ka1 (2308)

鉛(Pb) Ma1 (2346)

38

シリコン(Si) Ka1 (1740)

タングステン(W) Ma1 (1775)

35

シリコン(Si) Ka1 (1740)

タンタル(Ta) Ma1 (1710)

30

窒素(N) Ka1 (392)

炭素(C) Ka1 (277)

115

窒素(N) Ka1 (392)

チタン(Ti) La1 (452)

60

酸素(O) Ka1 (525)

クロム(Cr) La1 (573)

48

酸素(O) Ka1 (525)

バナジウム(V) La1 (511)

14

 

[3] どこまで微小なものまで測定できるか。

分析領域の小ささは、検出器そのものに依存するのではなく、それを設置する電子顕微鏡の性能に依存する。今回の研究では、X線検出システム開発が主眼であり、電子顕微鏡そのものの性能追求は行っていない。そのため、現在のところ分析の空間分解能は10nm(ナノメートル)程度である。最新の、空間分解能の高いTEMに本分析装置を設置すれば、原子コラムレベルの空間分解能での分析も原理的には可能である。