分子に機能を持たせる

研究責任者 砂金宏明

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目的は?

 情報の時代と呼ばれる今日では大量の情報量を高速で処理することが要求されるので、電子素子のより高度な集積度が求められます。ところがシリコンという半導体の表面に細かい回路を作成する今までの集積方法では原理的な限界が近づきつつあるので、原子・分子程度の大きさの物に素子としての機能を担わせる等の画期的な方法が必要になります。

 分子と聞くと、水や二酸化炭素等の分子を思い出して、あまりに小さすぎて機能を持たせるというアイデアはむちゃに聞こえるかもしれません。しかしこれは決して荒唐無稽なアイデアではなく、私達の体内にある数多く存在する酵素、血液中のヘモグロビンや植物の光合成に重要なクロロフィル等の物質は、機能を持つ分子の代表的な例と言えるでしょう。

 ここではフタロシアニン(図1)という有機色素と金属の化合物(図2)について研究を進めています。フタロシアニンの分子構造は、前述のヘモグロビンやクロロフィルの中心であるポルフィリン(図3)の構造に似ているのでこれらの物質のモデル化合物として注目されていますが、それだけではなく実際に青・緑色の顔料(新幹線の青が有名)やコピー機用の静電気発生体、大容量光ディスク(CD−R)用色素として既に実用化されていて、生活に大変密着した物質です。さらに癌のレーザー治療、非線型光学材料(光通信等に用いられる)等、さまざまな分野での応用(図4)が期待されているスーパーマン的な化合物です。


 

 

フタロシアニンの“変人”:アンチモン化合物

 フタロシアニンはほとんど全ての金属元素と化合物を作り、また上で述べた様に大変有用な物質であるので、ほとんど全ての金属元素の化合物が知られていました。ところがアンチモンやビスマス等の15族元素(窒素と同じ仲間)と呼ばれる元素の化合物についてはその存在が確認されていませんでした。幸運にも恵まれて私達がこれらの物質の第一発見者となったわけですが、とりわけアンチモンの化合物(図5)はこれまでに知られているフタロシアニンの化合物とは大変異なる性質を持つことが判りました。例えばフタロシアニンの化合物は一般に可視光(目に見える光)を強く吸収し、その吸収する光の波長によって青く見えたり緑色に見えたりする(だから青・緑色の顔料として使用される)わけですが、このアンチモンの化合物は可視光より波長が長くて目に見えない光(近赤外光)を強く吸収します(図6)。この波長という点に関して言えば、アンチモンの化合物はフタロシアニンの中のチャンピオンです。近赤外光を吸収するという性質は半導体レーザーを用いる工業技術(例えばCD−R等)には大変重要な性質で、今後も光通信やガンの治療等の分野ではますます重要性が高まることでしょう。普通のフタロシアニン化合物は近赤外光をあまり吸収しないので、フタロシアニンという色素の構造を変えたり、フタロシアニン同士の相対的な配置を変えたり(真上に重ねたり斜めに重ねたり)と大変な労力を必要としてきましたが、アンチモンの化合物にはその様な必要がなくなるので、もっと簡単にいろいろな事に応用できる様になるかもしれません。

 また光の話とは別に、普通のフタロシアニン化合物より簡単に還元され易い(電子を受け取り易い)ことも判ってきました。電子の受け取り易さ(還元電位という尺度で測る)という点で言うと、ここでもアンチモン化合物はフタロシアニンの中のチャンピオンになります。一般に普通のフタロシアニンは電子を放し易くて受け取り難い化合物なのですが、アンチモンの化合物は全く正反対の性質を持つわけです。普通のフタロシアニンとアンチモンの化合物を組み合わせると、何か面白い物が出来るかも知れません。現在電気の回路で使われているトランジスタやダイオードはシリコンと呼ばれる半導体で作られていますが、将来はフタロシアニンで作られる様になるかもしれません。

 

今進めていること

 なぜアンチモンの化合物だけが“変人”なのか、今の時点でその理由は判っていません。この理由を明らかに出来れば、もっと凄い“変人”を見つけることが出来るかもしれません。またこれまでに知られている“普通” のフタロシアニンを変人に変える技術が見つかるかもしれません。ですから、この理由を明らかにすることは大変重要になります。また、この化合物は、普段はとても安定(人間に例えると体が丈夫)なのですが、電子を受け取ると不安定(体が弱くなる)になることも判ってきました。アンチモンとフタロシアニンという組み合わせの基本を変えることなく、どのような状況でもこの魅力的な変人が安定でいられる様に化合物を改造していくこともまた重要な仕事になります。さらにより多くの新しい魅力的な変人を見つけるために、様々なフタロシアニンを作っています。そしてそれらの様々な分光学的性質(光を吸ったり出したりする性質等)や電気化学的性質(電子を受け取ったり与えたりする性質等)を明らかにする研究を展開しています。

 

代表的発表論文

1.    Rapid Reactions of Phthalocyanies with Tellurium Tetrachloride in Non-Aqueous Solutions, J. Porphyrins Phthalocyanines, 3, 537-540(1999).

2.    An Adjacent Dibenzotetraazaporphyrin: A Structural Intermediate between Tetraazaporphyrin and Phthalocyanine, Inorg. Chem., 38, 479-485(1999).

3.    Aggregation Effects on Electrochemical and Spectroelectrochemical Properties of [2,3,9,10,16,17,23,24-Octa(3,3-dimethyl-1-butynyl)phthalocyaninato]cobalt(II) Complex, Bull. Chem. Soc. Jpn., 71, 1039-1047(1998).

4.    Synthesis of Dichloro(phthalocyaninato)antimony(V) Perchlorate, Tetrafluoroborate, and Hexafluorophosphate and Electrochemical Reinvestigation on the New Complex Salts, Bull. Chem. Soc. Jpn., 70, 2179-2185(1997).

5.    Spectroscopic Properties of One-Electron-Reduced Species of Dichloro(phthalocyaninato)antimony(V) cation, Bull. Chem. Soc. Jpn., 69, 1281-1288(1996).

6.    Facile Reduction of Dichloro(phthalocyaninato)antimony(V) Cation, Chem. Lett., 1994, 1957-1960.

7.    Syntheses and Characterization of Bromo- and Chloro(phthalocyaninato)bismuth(III) Complexes, Bull. Chem. Soc. Jpn., 67, 383-389(1994).