準安定原子によるイオン脱離現象

ナノマテリアル研究所
ナノファブリケーション研究グループ
倉橋 光紀


 試料最表面の状態を明らかにすることは、あらゆる表面研究の最重要課題の一つです。ところが試料最表面を実験的に調べることは決して容易ではありません。それは、測定に用いる電子線やX線等が固体内部にまで侵入し、得られる信号が第2原子層以降の大きなバックグラウンドを含むことが多いためです。一方、低速(<300meV)準安定原子は固体内部に侵入せず、原子衝突によるダメージを試料に与えることなく最表面外側のみから電子を放出させることが知られており、最表面分析という点で大変優れています。この現象は実際に最表面の分析に利用され(準安定原子脱励起分光
法)、非破壊であることがこの分析の重要な特徴とされてきました。
 ところが最近、当研究室は低速準安定原子は電子放出のみならずイオン脱離をも引き起こすことを世界で初めて明らかにしました。図1は、パルス放電により生成したビームを試料に照射した際に試料から放出された正イオンの到着時間分布を示したもので、200μsec付近の信号は準安定ヘリウム原子により試料から脱離された水素イオンに帰属されます。この結果は、低速準安定原子ビームは最表面電子状態だけでなく、最表面元素分析にも利用できることを示しています。特に、他の方法では検出が難しい表面の水素に対する感度が高い点が特徴的です。 
 図2は考えられる脱離機構を示したものです。準安定原子は表面原子から電子を奪い、自身は電子を放出させて基底状態に減衰します。このとき、表面と吸着原子の結合に寄与している電子が奪われると、解離した方がエネルギー的に有利になるため脱離が起きると考えています。この機構の正当性は、当研究室で行われたスピン偏極準安定ヘリウムを用いた実験および理論計算により確かめられました。
 また近年、準安定原子をリソグラフィーに応用する試みがなされています。リソグラフィーには電子線や光などが用いられますが、空間電荷効果や回折により描画パターンの空間分解能が制限されることが知られています。一方、準安定原子ビームの場合、電気的に中性かつ短波長であるため、これらの効果が分解能を制限しません。従って、高い空間分解能が期待できます。準安定原子によるイオン脱離現象は準安定原子リソグラフィーの基礎過程に相当するので、その研究は準安定原子リソグラ
フィーの発展にも寄与すると考えられます。

図1 観測した入射ビーム(黒)と脱離正イオン(赤)
の飛行時間分布

図2 準安定原子によるイオン脱離機構





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