どんな失敗も、ムダにはならない / 花方信孝

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花方 信孝(はながた のぶたか)
技術開発・共用部門 副部門長
機能性材料研究拠点 バイオ機能分野 分野コーディネーター
機能性材料研究拠点 バイオ機能分野 ナノメディシングループ グループリーダー

生まれつき骨の形成に異常をきたす難病「骨形成不全症」。いまだ治療法のないこの難病のひとつ、V型骨形成不全症の原因遺伝子を最初に発見し、その治療法の開発に取り組む研究者がNIMSにいる。医療材料の専門家である花方信孝だ。
同僚から依頼されたある材料の性能評価をきっかけに原因遺伝子を発見した花方は、かつて一度、失意のうちにこの遺伝子に関する研究を断念していた。それがいま、なぜあらためて難病治療に取り組むことになったのか。その経緯を聞いた。

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「これは世紀の大発見に違いない。当時はそう信じて興奮を隠しきれませんでした。」

そう語る花方。それもそのはず、彼はそれまでまったく謎だった、ヒトの骨を作る遺伝子に迫る実験結果を手にしていた。世界中のどの研究者もまだ見つけていない遺伝子だ。もし本当に骨を作る遺伝子だったら世紀の大発見となる。

花方は、骨の遺伝子であることを証明する実験開始を決意。しかし実は、花方は骨の研究はまったくの門外漢だった。そんな彼がなぜ、ヒトの骨形成に関わる遺伝子に迫っていたのか。それは、NIMSの同僚から依頼され仕方なく引き受けた実験がきっかけだった。

しぶしぶ引き受けた実験
そこから骨形成の遺伝子に迫る

もともと花方は大学で、数千個の遺伝子をいっぺんに解析するDNAチップを自作し、細胞の機能を解析する研究を行っていた。NIMSへ研究の場所を移してからは、この解析技術を利用して免疫を活性化する医療材料の研究を進めていたところ、ある日NIMSの同僚から、ある材料の評価を頼まれる。

「依頼してきたのは、人工骨の研究者でした。彼が開発していたのは、失われた骨を一時的に補填しつつ、骨の再生を促して、いずれは本当の骨と置き換わる材料。そのため開発した人工骨が、骨の再生をどれくらい促進するのか、その評価をしてほしい、という依頼でした。」

評価の方法は、人工骨の上でヒトの骨のもととなる細胞(骨芽細胞)を培養し、その細胞の分化状態を調べるというもの。骨芽細胞は、分化が進み骨を作る時期になるとあるタンパク質をつくることが知られており、そのタンパク質の遺伝子が発現したかを解析することで分化の促進が分かる。
骨の専門家ではない花方は、とりわけ骨には興味がなかったので、その依頼を断ろうと思っていた。ただ、ひとつの遺伝子を調べるだけなら自分の研究の片手間でできる。「どうしても」という同僚を断りきれず、しぶしぶ受けたという。

「預かったいくつかの人工骨には、表面がつるつるのものと、スポンジ状のものがありました。それぞれのサンプルの上で骨芽細胞を培養してみると、スポンジ状の人工骨でのみ、分化を示すタンパク質の遺伝子が発現していました。つまり、表面がつるつるよりもスポンジ状の人工骨の方が、骨が再生しやすいという結果でした。骨の専門家ではない私にとって、表面の形状が人工骨の性能に大きく影響するという結果は驚きでした。」

この結果で人工骨の評価という依頼は十分果たしている。同僚に結果を伝え、満足もしてもらった。しかし、材料の形状でこんなにもはっきり細胞の分化に違いが出ることに驚いた花方は、あることが気になってきていた。

「解析では、たった1つの遺伝子しか調べていません。ところがヒトには遺伝子が約2万個もあります。こんなにもはっきり分化に違いがでるなら、ほかの遺伝子の発現にも違いはないのだろうか。そのことが気になったのです。」

たどり着いた1つの遺伝子
しかし、それは失意に変わる

ヒトが持つ2万個の遺伝子すべての発現状態を調べるとなると解析の難易度は格段に上がってくる。しかし、大学でDNAチップを使って研究をしていた花方にとって、2万個の遺伝子をすべて解析するのはお手のものだった。医療材料の分野でこの解析ができる研究者はほとんどいない。花方はそれができる数少ない1人だった。

「さっそく私は、2万個の遺伝子を一斉に解析にかけてみたんです。」

人工骨の上で培養した骨芽細胞を使って遺伝子の発現状態を解析してみると、その結果に花方は目を疑った。

「骨芽細胞が分化すると、2万個の遺伝子の中で、“Ifitm5”という未知の遺伝子が強く発現しているように見えたのです。何かのエラーかもしれないと思いましたが、その後何度実験を繰り返しても、やはり“Ifitm5”は強く発現していました。」

培養した骨芽細胞(花方 信孝)

(上)骨芽細胞をプレート上で培養したもの。培養日数が進むと骨芽細胞が分化し、骨の粒(赤い点)を作る。(下)Ifitm5の発現量。培養日数が進み、骨の粒ができ始めるとIfitm5の発現量が上昇する。

『ひょっとすると、Ifitm5は、骨を作るための重要な遺伝子ではないか?』

文献を調べて見ると、実は骨形成に関わる遺伝子は謎が多く、まだほとんど解明されていないことがわかった。

「さらに驚いたのは、ヒトには性質の異なる260種類の細胞がありますが、Ifitm5という遺伝子はそのうちのただひとつ、骨芽細胞だけで発現していました。得られたすべての結果は、この遺伝子が骨を作ることに特化していることを示していました。『これは大変な発見をしたのではないか?』そう思い興奮しました。まだ誰も見つけていない骨を作るための決定的な遺伝子。もしその遺伝子を発見したのなら、人間の体を形作る秘密に迫るだけでなく、骨に関わる病気の治療に役立つかもしれないからです。」

さっそく彼は、発見したIfitm5がヒトの骨を作る遺伝子だと証明するための実験を行った。

「Ifitm5が骨を作る遺伝子であることを証明するためには、Ifitm5をもたないマウス(ノックアウトマウス)を作り出し、そのマウスに骨がなければよいわけです。実は同じ時期にカナダの大学でもこの遺伝子を見つけていることが分かって、どちらが先にノックアウトマウスを作ってその証明をするか、競争になりました。」

花方は、カナダの大学よりも数か月早くIfitm5のノックアウトマウスをつくることに成功。ところが、生まれてきたノックアウトマウスの骨は異常がなく正常なものだった。

ノックアウトマウスの実験画像(花方 信孝)

(左)Ifitm5をもつ正常なマウスの骨格。(右)Ifitm5をもたないノックアウトマウスの骨格。骨格に大きな違いは見られない。

「思えばたった1つの遺伝子だけで骨の形成が制御されているのは、とても不安定なシステムと言えます。原因はいくつか考えられますが、おそらく、この遺伝子が働かなくなっても、体の中では骨を作るバックアップのシステムが働いて、正常に骨が形成されたのだと思います。」

興奮は一気に失意に変わった。

突然の知らせ

結局、花方は発見したIfitm5が骨を作る決定的な遺伝子だという証拠を示すことはできなかった。失意のうちに、ノックアウトマウスの結果をとりあえず論文にまとめた。

「実験を始める前は、科学分野の最高峰の雑誌への掲載を目指していました。そのくらいのインパクトがあると思っていたのです。しかし、期待した結果が得られず、論文を発表することに意味があるのかとさえ思いました。ただ、この研究に4年間も費やしたので、何か形として残しておきたいと思い論文を書きました。」

最終的に日本骨代謝学会が発行する雑誌に論文を発表した。2011年のことだった。

「期待が大きかっただけに失望も大きかったのですが、私は骨の専門家ではないので、これでこの研究を終わりにしました。もう骨の研究をすることはないと思い、骨代謝学会も退会しました。その後は、NIMSに来てから立ち上げた免疫を活性化する医療材料の研究に集中することにしました。」

それ以後、骨の研究のことはすっかり忘れていた花方だが、2014年に退会していた日本骨代謝学会から突然メールが届いた。

「私に論文賞を授与するという内容でした。あまりに寝耳に水で、間違いメールが届いたのではないかと思ったほどです。」

メールをよく読むと、論文賞の対象は3年前に発表した例のノックアウトマウスの論文だった。

『ノックアウトマウスの骨は正常だという全く失敗した研究なのに何故だろう?』と思って調べてみると、2012年から、Ifitm5の変異がV型骨形成不全症という難病の原因であるという報告が世界中からなされていたことが分かった。Ifitm5はなければ何も影響はないが、変異すると骨の難病を引き起こす。花方のノックアウトマウスの論文は、世界中の研究者から参考にされ、引用数が急上昇していたのだ。

そして挑戦へ

失敗だと思っていた実験が、知らず知らず難病の原因となる遺伝子にたどり着いていた。そのことを知った花方は、あらためてこの先天性の骨疾患のことを徹底的に調べた。そして、ある治療薬のアイデアを思いつき、それを実現するべく、あらたに研究を開始した。

「まだ研究中のため、詳しくお話しすることはできませんが、もし実現すれば、画期的な治療法につながると期待できます。実はそのアイデアは、私が以前失敗したと思っていたノックアウトマウスの研究結果からヒントを得たものです。そういった意味で、あの失敗は無駄ではなかったかもしれません。
多少遠回りをしましたが、いまはなんとかして自分のアイデアを治療薬につなげ、難病に苦しむ患者さんを救いたい。そういう想いで研究を進めています。」

花方 信孝

(取材・文 中道 康文)