水に沈む氷?ネバネバする水??
ふしぎな水の世界

【取材・文】
オンライン・デザイン・マガジン「PingMag」編集長 トム・ヴィンセント氏

みなさん、水についてどのくらい知っていますか?

熱すると水蒸気になって0℃まで冷やすと氷になる、人体の6割から7割がこの水でできている....などなど、人間にとって最も身近な物質、それが水。
水を知らない人なんてこの世界には誰一人いないし、科学技術がここまで発展した現代なら、当然、その全てが既に分かっていると思ってませんか?
実は、まだまだ水について分かっていないことは多く、多くの研究者でも議論になっているほどなのです。

NIMSで、この水の研究をつづけているのが三島さんと鈴木さんのチーム。NIMSの中でも最小のチームでもあるこのお二人に、水についての不思議を伺ってみました!

水 Photo by PingMag

(左から)鈴木芳治さん、三島修さん、PingMag編集長:トム・ヴィンセントさん

とはいえ、私達には何の不思議もない水の不思議を知る為には、まず分かっていることを整理してみる必要があるでしょう。なので、最初にPingMag的水講座を開始したいと思います!

PingMag的水講座

まずは基本のおさらいから。

水 Photo by PingMag

水の分子式はH2O。そして液体を0℃まで冷やせば氷になり、100℃まで熱すれば水蒸気になる。この時、液体時、氷の時のH2Oの状態を例えてみると次のようなことになります。

:広場の中でみんな(水分子)がキチンとならんで整列している状態(=結晶化した水の固体)
:広場の中でみんながみんな不規則に動き回っている状態(液体)

つまり、氷とは水が結晶化して固体になった状態のことです。
どういうわけか、一般的に物質は液体の時より固体のほうが重くなります。つまり、結晶化した固体の方が密度が高い。

ここで氷水の入ったグラスを思い浮かべてください。

....なんかおかしくないですか?

そうなのです。氷が水に浮いてる!
ここに水という物質の特殊性があるのです。つまり、氷より水の方が密度が高い=重いのです。だから氷水の入ったグラス中で氷は水に浮く。
さらにおかしいのは、水の密度は温度が低くなるにつれて高くなっていくのですが、もっとも密度が高くなるのは4℃の時なのです。そして、4℃から冷やしていくと水の密度は低くなっていきます。だから、氷水のグラスの底の水の温度は理論上はおよそ4℃になります。

水という物質の特殊性はそれだけではありません。
私達の生活する1気圧下で作られた氷は上で述べたように水より密度は低くなるのですが、氷の作られる状況によっては異なる結果になることもあるのです。

上の例で言えば、同じ整列するにしても氷が作られる時の圧力や温度の違いによって、異なった整列の仕方(結晶の構造)になることが知られていて、その数、少なくとも実に13もの種類の氷の存在が確認されているそう!
結晶の構造によって密度が異なるので、その中には水に沈む氷だって存在する!

氷にそんなに種類があることは知りませんでした。他の物質でも同じように、性質の異なる何種類もの固体があるものなんでしょうか?

(三島)圧力や温度によって異なる結晶構造になるものはいろいろとありますけど、水は知られている結晶構造の数が多いんですよ。

氷じゃなく水の固体!?

水に沈む氷はどんな味がするのかなんてコトも気になりますね。そういえば、以前何かのテレビでペットボトルの蓋をあけた瞬間に凍る水の映像をみたことがあるんですが、あれはどういうことなんでしょうか?

(三島)あれは過冷却水というもので、簡単に言えば、水の分子を整列させずに冷やしていったものなんです。温度を下げることで、H2Oは動きが遅くなるもののまだランダムに動き回り、整列はしてない状況なので、衝撃があった瞬間に、みんなハッとなって並び始め、結晶化が始まって氷が出来上がっていくことになるのです。

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親切に体を使ってまで、H2Oの状態をレクチャーしてくれた。

(三島)では、この過冷却水を冷やしていくと何が起きるか。
実は、まるで整列させることなく、H2Oの動きを止めてしまうことができるんです。
この時、H2Oは構造上は水と同じ状態でも液体ではなく固体となります。定義から言えば氷とは異なる固体の状態は「アモルファス氷」と呼ばれていて、科学的な表現を使えば、ガラス状の水ということになります。”ガラス状”とは結晶化してない固体のことで、一般的なガラスが溶けた状態と言われて思い浮かべるものと同じように、温度を上げると粘性を帯びた、ネバネバした物質となります。水から作られたアモルファス氷も同じガラス状の物質なので、温度を上げる過程でネバネバしたものになるんです。

ネバネバする水!?

水 Photo by PingMag

水溶液で、実験ネバネバ:
見せていただいた実験では、結晶化(普通に凍る)を防ぐ為にグリセロール水溶液を使用した。これを液体窒素で急速冷凍することでガラス状の固体をつくることができる。温度を上げるとほんとにネバネバする!

水には2種類ある?

奥深いですね、水!
さて、三島さんのチームの研究ではこの水にも2種類あるのではないかということなのですが、その2種類の水ということについて教えてもらえますか?

(三島)現在ではさきほどのアモルファス氷にも2種類あることが分かっています。
その2つとは、LDA(Low-Density Amorphous ice)とHDA(High-Density Amorphous ice)。普通の氷でも作る際の圧力や温度によって、いろいろな種類の氷ができるように、低圧力下で作られたアモルファス氷と高圧力下で作られたアモルファス氷とではそのH2Oの状態が異なっているのです。

では、一体どこの段階で分かれるのか?
もし、液体の段階で分かれるとすればその時点での水は2種類存在することになるのではないか。

これが、最近の水の研究に関して議論を呼んでいる【2種類の水の理論】なのです。

水

こちらは水の変化を圧力と温度、そして体積で示した3Dの模型。三島さんは時々これを目をつぶって触ることで、身体的に研究データを理解しようとするそうだ…!

確かに、先ほどのご説明からだと水のH2Oの状態を保ちつつ固体にしたものがアモルファス氷だから、それが2種類あるのであれば水も2種類あることに....!
これはどのように発見されたことなんでしょうか?

(三島)LDAが発見されたのは1935年のカナダでのこと。そしてもう一つのHDAは1984年に私が発見したんです。私はその後の研究で、LDAとHDAは不連続に変化することも発見しました。つまりは、2つの変化はグラデーション的に変化していくのはなく、あるポイントで一気にAからBへの状態へと変化するのです。

HDAのアモルファス氷からLDAのアモルファス氷に一気に変化する様子。高圧力下で作られたHDAを1気圧で温めると、一気にLDAへと変化する。

弾けましたね!すごい!

今なお議論を呼ぶ水の研究

素人的にはこうして説明していただくと分かりやすいのですが、2種類の水というのは学会ではまだその真偽に議論が巻き起こっているところだそうですね。
そもそも水の研究で一番難しいところはどこになるのでしょうか?研究材料は簡単に手に入りそうですし。

(三島)約30年前から一貫して研究は続いているんですけど、この水の研究で一番難しいところは、”No man's land”と呼ばれる、実験での観察が不可能な領域が存在するところです。
その領域では、水は結晶化してしまい(最初の例でいうと整列してしまい)氷に変化してしまうので、液体としての水の状態を実験によって実証することが難しいのです。先ほどのLDAとHDAも、固体として異なる2つの状態が存在することは実験で確認されているのですが、液体の場合でこの2種類がどこで分岐するのか、そこの証明を実験でしめすことが非常に困難なものとなっているんです。

シミュレーターを使うこともできるのですが、シミュレーターだとどうしても100%正しいことにはならないので。そのために、2つの水に対する議論が噴出、それはウソだ、ウソであるというのはウソだ、というような沢山の議論、論争が噴出しているからなんです。そして、ひとつ収まったと思ったらまた別のところで議論が起こる、そういうことがいまだに続いているんです。

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PT相図:水が温度と圧力によってどのように変化するのかを示した表。中間のNo man's landの領域での実証が非常に難しい。

なるほど。確固たる証拠を押さえるのが難しいんですね。確かに大変そうだ。

(三島)科学というのは案外状況証拠で押さえることもあるんですけど、そこでは、100%正しいということはないんです。ニュートンの科学でもアインシュタインの修正が入ったりしていますし。

(鈴木)水がもう少しわかってくると、もうちょっと分かると思うんです。分からないことが多すぎるんですよね。だからいろんな違った意見も沢山出てきて、混沌としてきちゃうんです。もうちょっと科学的に分かってくるとどこかでブレイクスルーが起きて、片付いていく気がするんですけどね。

水は特殊な物質?

私達にとって当たり前すぎる「水」という物質ですが、今日お話を聞いた限りでは全然知らないこともあったり、科学的にはそうでもないということがよくわかりました。
正直、意外でした。

水 Photo by PingMag

(三島)よく、「なんで水の研究をやるんですか」って言われることもあるんです。「科学的には水は液体の中でも特殊だから、液体を研究するのに水という特別なものよりも、もっと一般的な液体を研究するべきじゃないのか」ということ言う人もいます。

その一方で、水というのは科学という世界ではちょっと特別な位置を築いていて、科学が発達する時に水というのが結構出てくるんですよね。例えば、水が凍る温度を0℃と決めたようにね。

変な物質だけど、一方では基準にもなっている....。中々複雑な事情ですね。

(三島)水は恐らく人類史上、最も長い間研究されてきている物質の一つなんです。例えば、あのガリレオ・ガリレイも水を考え、後に弟子たちが実験をやってます。

そのガリレオの時代から約400年。
研究が進み、解明されたことが多くなればなるほど新しい疑問が出てくるんですよ。確かに水は他の液体と比べて特殊かもしれませんが、その特殊性を理由に”変なもの”としてしまうのは、ちょっと違うんじゃないかと思うんです。

水は液体として特別か。
でも液体といえば水でしょう?液体として水は特別なのか。
Water EveryWhere。
水が分かったら、液体についても分かるだろうと思うんです。

(鈴木)人間が扱う最も基本的な液体という意味では我々が”普通”として扱わなきゃいけない液体なんですよね。水は。

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おっしゃる通り、科学にとっては特殊かもしれないですけど、人にとってはなによりも普通のものですからね。
今は三島さんのチームではどんな研究をされているんですか?

(三島)(2種類の水という)この考え方で矛盾なくいろんなことが説明できるので、たぶん正しいだろうと。水は2つに分かれるんだろうという仮説を元に、より対象を広げた水溶液の研究にも取り組んでいます。

(鈴木)段々減ってはきていますけど、(2種類の水という仮説は)未だに眉唾っぽく聞かれることもあります。でも実際に実験をしている自分たちの感覚からすると、これで正しいんだろうということで次のステップに進んでいるんですよ。

(三島)例えば、ガリレオが地球は回ってると言いましたけど、当時は誰も理解しなかった。革新的なアイディアであればあるほど、時間がかかるんです。今でも色んな革新的なことを考えている人がいるんだろうけど、それが証明されるためには時間がかかるんです。

取材を終えて

水の研究。

そんな言葉を耳にした時に、私達は「何を研究するの?」と思うと思います。
私も最初はそう思いました。
ただ、こうして実際に研究し、実験を重ねているお二人に伺ってみると、普段当たり前に飲んだり手を洗ったりしている水と言う物質ですら分かっていないことが多いことに驚かされます。
かつて、フランスの作家ジュール・ベルヌは「神秘の島」の中でこんなやり取りを描いています。

水夫
「世の中の知っていることをまとめたら、とんでもなく分厚い本になりますね!」

博識な教授
「いや、知らないことを集めた方がよっぽど分厚い本になるよ。」

世界にはまだ書き入れていかなくてはいけない白紙のページがたくさんあるという事実に、“ガッカリ”よりも“ワクワク”してしまったのは私だけでしょうか?

三島さん、鈴木さん、ありがとうございました!

水 Photo by PingMag

【取材・文】PingMag トム・ヴィンセント氏(編:NIMS)
【写真】PingMag、NIMS
【協力】先端的共通技術部門 表界面構造・物性ユニット ポリアモルフィズムグループ(取材当時)